れてしまひました。
 三時半頃に私が店へ出てのれんの間から外を見て居ますと色の白いひどい吊目の口の前へでた、丁度《ちやうど》狐のお面のやうな、柴田はにこ/\笑ひながら川端筋《かはばたすぢ》を東から出て来るのでした。電信柱の横で私から紙包を受取ると、狐の子供はまた飛ぶやうに帰つて行くのでした。
 一月《ひとつき》も立つて後《のち》に私はまた新しい苦痛に合はなければなりませんでした。私と柴田の秘密を何時《いつ》の間《ま》にか知つた人が出て来たのです。それは和田《わだ》と云ふ人でした。
「あんたは柴田さんに毎日お菓子を上げてなはるんだすな。」
 私は黙つて居ました。
「隠しても知つてます。あんたあんな人にお菓子なんぞ取られてないで私におくなはれ。そやないと先生に云ふ。」
 これもまた脅迫者だつたのです。
「柴田さんには初めに私が悪いことをしたのでしたから。」
「私にさへくれゝば柴田さんがあんたに意地悪をしても私があんたに附いて上げる。」
「かうしませう、私、柴田さんとあなたの二人に上げませう。」
 心弱い私はまたこんな約束をしてしまひました。それから後《のち》の私はもうお菓子も果物も見るだけでした。柴田の方ではもうちやんと和田のことを知つて居ました。そして私への要求がだん/\烈しくなつて来ました。
「お金を包へ入れて頂戴。」
 かう柴田はある時云ひました。私はまたこれを行ふ道を考へねばなりませんでした。私はお祖母《ばあ》さんなどに貰つてありましたお金の中の銅貨を、二三枚だけ更に小銭に変へて貰ひました。毎日二|厘《りん》づつ柴田の菓子包へ入れてやりました。私は自分は弱者で強いものにいぢめられて居るのであるとは思ひながら、お銭《ぜに》の入つた包などを貰ひに来るのは、丁度年越しの晩の厄払ひの乞食のやうで、下等な子供であると狐の子供に対する侮蔑は、もとより十分持つて居ました。和田もお銭を入れてくれと云ひ出しました。これも必然の結果のやうに私は思つてゐました。その三月《みつき》程のうちに私は心理的にいろ/\の経験をしました。ある日、
「私は今日までのことが悪かつたと思ひますから先生に自分から申してお詫びをしますからさう思つて下さい。」
 私はかう柴田に云ひました。私にはもうそれを云ひ出すだけの勇気が出来て居たのです。その時柴田が許してくれと云ふのにどんなに骨を折つたでせう。
 私は
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