あかし》の美くしさ、ほのぼのと晴れる朝霧の中の、神輿倉の七八つも並んだ神輿の金のきらきらと光つて居るのを見る快さは、忘れられないものです。蓮池の蓮を見たり、鯉に餌《ゑ》を遣《や》つたりしますことも、何時《いつ》も程落ついては出来ません。気が急いで大和川《やまとがは》を渡る時も、川上の景色、川口の水の色を眺めたりすることも出来ません。朝御飯を食べますともう住吉踊が来ます。
すみようしさんまいの
と拍子ごとに云ふ踊で、姿は白衣《びやくえ》に腰衣《こしごろも》を穿いた所化《しよけ》を装つて居るのです。踊手は三人程で、音頭とりが長い傘をさして真中に立ち、その傘の柄を木で叩くのが拍子なのです。私等はこの時には大鳥さんの宵宮の晩に着た浴衣を着て居ます。昼間浴衣を着て人の怪まないのは夏中でこの日だけ位なものです。この日も晴着に着替へますのは、やはり二三時頃のことです。縮緬《ちりめん》が多く着られます。薄色の透綾も着られます。錦《にしき》の帯、繻珍《しゆちん》の帯が多くしめられます。緋縮緬や水色縮緬のしごきがその帯の上から多く結ばれます。けれども私等のやうな男作りの子は割合軽々とした姿で居ます。扇を今日は皆持ちます。子供心にあらゆる諸国の人が集つたかと思はれた程この日には遠い田舎《ゐなか》からも見物に出て来る人で道が埋つてしまひます。私等はもう昨日のやうに、芝居の花道を歩くやうに、大道を練つて歩くことも出来ないのです。だんだんと街々の騒ぎは高くなつて行きます。新柚《しんゆ》の香が台所から立ちます。祭列を見るのは夜の十時頃です。海のやうに灯の点つた町を通るのでありながら、やはり夜のことですから、お稚児《ちご》さんの顔などは灰白《はひじろ》く見えるだけです。馬上の鼻高《はなだか》さんの赤い面も黒く見えるのです。私は刻々不安が募つて行きます。それは今日に変る明日の淋しい日の影が目に見えるからです。
私の生ひ立ち 五 嘘
嘘
九歳《こゝのつ》位で私の居た級では継子話《まゝこばなし》が流行《はや》りました。石盤へ箱を幾つも積み重ねたやうな四階五階の家を描いて、草書の下と云ふ字のやうなものを人だとして描いて、蒲団《ふとん》[#底本では「薄団」と誤植]の中へ針を入れて置いたりする鬼のやうな継母《まゝはゝ》の話ばかりを、友達等は毎日しました。一人が話し出しますと、大抵七八つの首がそ
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