居た椅子に掛けて
『踊子は綺麗でせう。』
 と女は云ふ。
『さうだね、目が悪いから輪廓位しか見えないけれど。』
 男が何時も自分に対して用心深く遠い所に線を張つて居るのが憎いと女は思つた。
『二階の伊太利亜人はどう。』
『あの人も出て居るかい。』
『出て居ないでせうよ。』
 女は口早に云つた。
『今夜はハルギエエルへ行きませうか、あなた。』
『行つても好いよ。おまへが行きたければ。』
『そんなことをお云ひになると私の恋人でも彼処にあるやうね。』
 男は長椅子に掛けて、其処にある煙草を飲まうとして居た。
『さう岸の禿頭だの、後藤の胡麻塩だの。』
『結構ですね、自分が一番立派だと思つて居らつしやるのだから。』
 女も長椅子の方へ行つた。とんとんと扉を叩く音がする。
『お入り。』
 と云ふと、女中のマリイがにたにたと笑つて首を振りながら入つて来た。掃除に廻つて来たのである。
『おいキキの奥さんはどうしたの。』
 また窓の所に行つて立つて居た男は、赤い羽蒲団に手を掛けてめくりかけたマリイに云つた。
『キキ。』
 マリイが問ひかへした。
『さう、さう。』
 男が云ふと、其間休めて居た手を動かして
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