供に対する愛の競争者である。そして結婚以後の子供の心理が母に対して幾分|疎縁《そえん》になるのも、またそれについて母が孤独の寂しさと嫁に対する一種の嫉妬とを感じるのも自然の人情であろうと想われる。
また月経閉鎖期前後の婦人の心理というものがヒステリイ的にいろいろの症状を呈するのは顕著な事実であって、そういう症状に罹《かか》った老婦人は嫁のする事なら針ほどの事も憎くなったり、嫁が好意でした事も反対に僻《ひが》んで解釈したり、酒精《アルコール》中毒者が杯を放さないように、またしてはあくどく嫁苛《よめいび》りをして嫁の苦痛を楽まずにはいられないのである。そういう老婦人は子供を多く生まないようにという口実の下に、しばしば若夫婦と室を同じくして臥《ふ》し閨房《けいぼう》を監視する残忍をさえ敢てするということである。
こういう種種の理由の下に悪性になり、不良になっている多数の姑根性というものを私は一概に憎むことが出来ない。たとい姑根性は憎んでも、こういう後天的理由で畸人《きじん》化され病人化された姑その人はむしろ気の毒に感ぜられる。
読書欲の全く欠けている多数の老婦人たちが今更他の勧めに従
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