て静養させることにしたが、容体が悪くなっていくようであったから横川へしらせの使いを出した。僧都は今年《ことし》じゅう山から降りないことを心に誓っていたのであったが、老いた母を旅中で死なせることになってはならぬと胸を騒がせてすぐに宇治へ来た。ほかから見ればもう惜しまれる年齢でもない尼君であるが、孝心深い僧都は自身もし、また弟子の中の祈祷《きとう》の効験をよく現わす僧などにも命じていたこの客室での騒ぎを家主は聞き、その人は御嶽《みたけ》参詣のために精進潔斎《しょうじんけっさい》をしているころであったため、高齢の人が大病になっていてはいつ死穢《しえ》の家になるかもしれぬと不安がり、迷惑そうに蔭《かげ》で言っているのを聞き、道理なことであると気の毒に思われたし、またその家は狭く、座敷もきたないため、もう京へ伴ってもよいほどに病人はなっていたが、陰陽道《おんようどう》の神のために方角がふさがり、尼君たちの住居《すまい》のほうへは帰って行かれぬので、お亡《かく》れになった朱雀《すざく》院の御領で、宇治の院という所はこの近くにあるはずだと僧都は思い出し、その院守《いんもり》を知っていたこの人は、一、
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