とまわって歩き、たまさかにめぐり合うことのできて、うれしくも頼もしくも思った姉君の所で意外な障《さわ》りにあい、すぐに別れてしまうことになって、結婚ができ、その人を信頼することでようやく過去の不幸も慰められていく時に自分は過失をしてしまったことに思い至ると、宮を少しでもお愛しする心になっていたことが恥ずかしくてならない。あの方のために自分はこうした漂泊《さすらい》の身になった、橘《たちばな》の小嶋の色に寄せて変わらぬ恋を告げられたのをなぜうれしく思ったのかと疑われてならない。愛も恋もさめ果てた気がする。はじめから淡《うす》いながらも変わらぬ愛を持ってくれた人のことは、あの時、その時とその人についてのいろいろの場合が思い出されて、宮に対する思いとは比較にならぬ深い愛を覚える浮舟《うきふね》の姫君であった。こうしてまだ生きているとその人に聞かれる時の恥ずかしさに比してよいものはないと思われる。そうであってさすがにまた、この世にいる間にあの人をよそながらも見る日があるだろうかとも悲しまれるのであった。自分はまだよくない執着を持っている、そんなことは思うまいなどと心を変えようともした。
ようやく鶏の鳴く声が聞こえてきた。浮舟は非常にうれしかった。母の声を聞くことができたならましてうれしいことであろうと、こんなことを姫君は思い明かして気分も悪かった。あちらへ帰るのに付き添って来てくれるものは早く来てもくれないために、そのままなお横たわっていると前夜の鼾《いびき》の尼女房は早く起きて、粥《かゆ》などというまずいものを喜んで食べていた。
「姫君も早く召し上がりませ」
などとそばへ来て世話のやかれるのも気味が悪かった。こうした朝になれない気がして、
「身体《からだ》の調子がよくありませんから」
と穏やかな言葉で断わっているのに、しいて勧めて食べさせようとされるのもうるさかった。
下品な姿の僧がこの家へおおぜい来て、
「僧都《そうず》さんが今日《きょう》御下山になりますよ」
などと庭で言っている。
「なぜにわかにそうなったのですか」
「一品《いっぽん》の宮《みや》様が物怪《もののけ》でわずらっておいでになって、本山の座主《ざす》が修法をしておいでになりますが、やはり僧都が出て来ないでは効果の見えることはないということになって、昨日は二度もお召しの使いがあったのです。左大臣家
前へ
次へ
全47ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング