仔細《しさい》のありそうにおっしゃいますのね。人がどんなに悪く解釈するかもしれないようなことにわざとしてお話しなさいます。『なき名は立てで』(ただに忘れね)」
 と言って、顔をそむける夫人は可憐《かれん》で美しかった。そのまま寝室に宮は朝おそくまで寝《やす》んでおいでになったが、伺候者が多数に集まって来たために、正殿のほうへお行きになった。
 中宮《ちゅうぐう》の御病気はたいしたものでなくすぐ快くおなりになったことにだれも安心して、まいっていた左大臣家の子息たちなどもごいっしょに碁を打ち韻塞《いんふたぎ》などしてこの日を暮した。
 夕方に宮が西の対へおいでになった時に、夫人は髪を洗っていた。女房たちも部屋《へや》へそれぞれはいって休息などをしていて、夫人の居間にはだれというほどの者もいなかった。小さい童女を使いにして、
「おりの悪い髪洗いではありませんか。一人ぼっちで退屈をしていなければならない」
 と宮は言っておやりになった。
「ほんとうに、いつもはお留守の時にお済ませするのに、せんだってうちはおっくうがりになってあそばさなかったし、今日が過ぎれば今月に吉日はないし、九、十月はいけないことになるしと思って、おさせしたのですがね」
 と大輔は気の毒がり、若君も寝ていたのでお寂しかろうと思い、女房のだれかれをお居間へやった。
 宮はそちらこちらと縁側を歩いておいでになったが、西のほうに見|馴《な》れぬ童女が出ていたのにお目がとまり、新しい女房が来ているのであろうかとお思いになって、そこの座敷を隣室からおのぞきになった。間《あい》の襖子《からかみ》の細めにあいた所から御覧になると、襖子の向こうから一尺ほど離れた所に屏風《びょうぶ》が立ててあった。その間の御簾《みす》に添えて几帳が置かれてある。几帳の垂《た》れ帛《ぎぬ》が一枚上へ掲げられてあって、紫苑《しおん》色のはなやかな上に淡黄《うすき》の厚織物らしいのの重なった袖口《そでぐち》がそこから見えた。屏風の端が一つたたまれてあったために、心にもなくそれらを見られているらしい。相当によい家から出た新しい女房なのであろうと宮は思召して、立っておいでになった室《へや》から、女のいる室へ続いた庇《ひさし》の間《あい》の襖子をそっと押しあけて、静かにはいっておいでになったのをだれも気がつかずにいた。
 向こう側の北の中庭の植え込み
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