とも中宿りの接待が設けられてあり、大臣もお帰りの時は宇治まで出迎えることになっていたが、謹慎日がにわかにめぐり合わせて来て、しかも重く慎まねばならぬことを陰陽師《おんようじ》から告げられたために、自身で伺えないことのお詫びの挨拶《あいさつ》を持って代理が京から来た。宮は苦手《にがて》としておいでになる右大臣が来ずに、お親しみの深い薫《かおる》の宰相中将が京から来たのをかえってお喜びになり、八の宮邸との交渉がこの人さえおれば都合よく運ぶであろうと満足しておいでになった。右大臣という人物にはいつも気づまりさを匂宮《におうみや》はお覚えになるらしい。右大臣の息子《むすこ》の右大弁、侍従宰相、権中将、蔵人兵衛佐《くろうどひょうえのすけ》などは初めからお随《つ》きしていた。帝《みかど》も后《きさき》の宮もすぐれてお愛しになる宮であったから、世間の尊敬することも大きかった。まして六条院一統の人たちは末の末まで私の主君のようにこの宮にかしずくのであった。別荘には山里らしい風流な設備《しつらい》がしてあって、碁、双六《すごろく》、弾碁《たぎ》の盤なども出されてあるので、お供の人たちは皆好きな遊びをして
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