さえそれでございましたから、今日になりましてはましてどこを頼みにして行く所がございましょう」
こんな話をするので、ますますみじめに見える髭男であった。
宮のお居間だったお座敷の戸を薫があけてみると、床には塵《ちり》が厚く積もっていたが、仏だけは花に飾られておわしました。姫君たちが看経《かんきん》したあとと思われる。畳などは皆取り払われてあるのであった。御自分に出家の遂げられる日があったならと、それに薫が追随して行くことをお許しになったことなどを思い出して、
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立ち寄らん蔭《かげ》と頼みし椎《しひ》が本《もと》むなしき床になりにけるかな
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と歌い、柱によりかかっている薫《かおる》を、若い女房などはのぞき見をしてほめたたえていた。
この近くの薫の領地の用を扱っている幾つかの所へ馬の秣《まぐさ》などを取りにやると、主人は顔も知らぬような田舎《いなか》男がおおぜい隊をなさんばかりにして山荘にいる薫へ敬意を表しに来た。見苦しいことであると薫は思ったのであるが、髭男を取り次ぎにして命じることだけを伝えさせた。この邸《やしき》のために今夜も用を勤めるようにと荘園の者へ言い置かせて薫は山荘を出た。
一月にはもう空もうららかに春光を見せ、川べりの氷が日ごとに解けていくのを見ても、山荘の女王たちはよくも今まで生きていたものであるというような気がされて、なおも父宮の御事が偲ばれた。あの阿闍梨《あじゃり》の所から、雪解《ゆきげ》の水の中から摘んだといって、芹《せり》や蕨《わらび》を贈って来た。斎《きよ》めの置き台の上に載せられてあるのを見て、山ではこうした植物の新鮮な色を見ることで時の移り変わりのわかるのがおもしろいと女房たちが言っているのを、姫君たちは何がおもしろいのかわからぬと聞いていた。
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君が折る峰のわらびと見ましかば知られやせまし春のしるしも
雪深き汀《みぎは》の小芹《こぜり》誰《た》がために摘みかはやさん親無しにして
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二人はこんなことを言い合うことだけを慰めにして日を送っていた。薫からも匂宮《におうみや》からも春が来れば来るで、おりを過ぐさぬ手紙が送られる。例のようにたいしたことも書かれていないのであるから、話を伝えた人も、それらの内容は省いて語らなかった。
兵部
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