家として御簾《みす》に代えて伊予簾《いよす》が掛け渡され夏のに代えられたのも鈍《にび》色の几帳《きちょう》がそれに透いて見えるのが目には涼しかった。姿のよいきれいな童女などの濃い鈍色の汗袗《かざみ》の端とか、後ろ向きの頭とかが少しずつ見えるのは感じよく思われたが、何にもせよ鈍色というものは人をはっとさせる色であると思われた。今日は宮のお座敷の縁側にすわろうとしたので敷き物が内から出された。例の話し相手をする御息所《みやすどころ》に出てくれと女房たちは勧めているのであったが、このころは身体《からだ》が悪くて今日も寝ていた。御息所の出て来るまで、何かと女房が挨拶《あいさつ》をしている時に、人間の思いとは関係のないふうに快く青々とした庭の木立ちに大将はながめ入っていたが、気持ちは悲しかった。柏《かしわ》の木と楓《かえで》が若々しい色をして枝を差しかわして立っているのを指さして、大将は女房に、
「どんな因縁のある木どうしでしょう。枝が交じり合って信頼をしきっているようなのがいい」
 などと言い、さらに簾《みす》のほうへ寄って、

[#ここから1字下げ]
「ことならばならしの枝にならさなん葉守《
前へ 次へ
全54ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング