わり]

 と書く。左大弁も、

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恨めしや霞の衣たれ着よと春よりさきに花の散りけん
[#ここで字下げ終わり]

 と書いた。
 大納言の法事は非常に盛んなものであった。左大将夫人が兄のためにささげ物をしたのはいうまでもないが、大将自身も真心のこもったささげ物をしたし、誦経《ずきょう》の寄付などにも並み並みならぬ友情を示した。
 左大将は一条の宮へ始終見舞いを言い送っていた。四月の初夏の空はどことなくさわやかで、あらゆる木立ちが一色の緑をつくっているのも、寂しい家ではすべて心細いことに見られて、宮の御母子《おんぼし》が悲しい退屈を覚えておいでになるころにまた左大将が来訪した。植え込みの草などもすでに青く伸びて、敷き砂の間々には強い蓬《よもぎ》が広がりかえっていた。林泉に対する趣味を大納言は持っていて、美しくさせていたものであるが、そうした植え込みの灌木《かんぼく》類や花草の類もがさつに枝を伸ばすばかりになって、一むら薄《すすき》はその蔭《かげ》に鳴く秋の虫の音《ね》が今から想像されるほどはびこって見えるのも、大将の目には物哀れでしめっぽい気分がまず味わわれた。喪の
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