。たいそうになることは院がとめておいでになったから、目だたせない準備をしたのであった。それでも仏像、経箱、経巻の包みなどのりっぱさは極楽も想像されるばかりである。そうした最勝王経、金剛、般若《はんにゃ》、寿命経などの読まれる頼もしい賀の営みであった。高官が多く参列した。御堂のあたりの嵯峨野の秋のながめの美しさに半分は心が惹《ひ》かれて集まった人なのであろうが、その日は霜枯れの野原を通る馬や車を無数に見ることができた。盛んな誦経《ずきょう》の申し込みが各夫人からもあった。二十三日が仏事の最後の日で、六条院は狭いまでに夫人らが集まって住んでいるため、女王には自身だけの家のように思われる二条の院で賀の饗宴《きょうえん》を開くことにしてあった。賀の席上で奉る院のお服類をはじめとして当日用の仕度《したく》はすべて紫夫人の手でととのえられているのであったが、花散里《はなちるさと》夫人や、明石《あかし》夫人なども分担したいと言い出して手つだいをした。二条の院の対の屋を今は女房らの部屋《へや》などにも使わせることにしていたのであるが、それを片づけて殿上役人、五位の官人、院付きの人々の接待所にあてた。寝
前へ
次へ
全131ページ中76ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング