われもとはなやかな御祝い品の来るお産屋《うぶや》であった。この際の祝宴については、いつも華奢《かしゃ》に流れることは遠慮したいとお言いになる院も、あまりお止めにはならなかったために、目もくらむほどのお産養の日が続き、ぼんやりとしていた筆者にその際の洗練された細かな物好みで製作されたおのおのの式の賀品などのことによく気がつかなかった。
 院は若宮をお抱きになって、
「大将が幾人も持った子を今まで見せないのを恨めしく思っていたが、こんなかわいい方が授かった」
 と愛しておいでになるのはごもっともなことである。毎日物が引き伸ばされるように若宮は大きくおなりになるのであった。乳母《めのと》などは新しい人をお見つけになることは当分されずに、これまでの六条院の女房の中から、身柄も性質もよい人ばかりを選んでお付けになった。明石夫人が聡明《そうめい》で、気高《けだか》い、おおような心を持っていながら、ある場合に卑下することを忘れずに、自身が表に出ようとすることのない態度のとれることについてはほめない人はなかった。紫夫人は顔をあらわに見せて話すようなことは今までこの人となかったのであるが、今度はよく睦《むつ》まじく話して、過去においては長く僭越《せんえつ》な競争者であると見ていた人に好意を持ちうるようになり、若宮を愛する気持ちの交流があたたかい友情までも覚えさすことになった。女王《にょおう》は子供好きであったから、天児《あまがつ》の人形などを自身で縫ったりしている時はことさら若々しく見えた。日夜を若宮のために心をつかう紫夫人であった。明石の老尼は、若宮を満足できるほど拝見することのできないのを残念に思っていた。しかしそれがかえって幸いであったかもしれぬ、なおしばらくでもそばでお愛し申し上げるような時間が許されたものであれば、あとの恋しい思いで尼は死んだかもしれないから。
 明石の入道も姫君の出産の報を得て、人間離れのした心にも非常にうれしく思われて、
「もうこれでこの世と別な境地へ自分の心を置くことができる」
 と弟子《でし》どもに言い、明石の邸宅を寺にし、近くの領地は寺領に付けて以前から播磨《はりま》の奥の郡《こおり》に人も通いがたい深い山のある所を選定して、最後のこもり場所としてあったものの、少しまだ不安な点が残していく世にあって、なおそこへは移らなかった山の草庵《そうあん》へ、
前へ 次へ
全66ページ中47ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング