て、この場の悲しい空気の密度をより濃くすまいとした。姫君は祖父に別れた朝のことなどを、心には忘れていても、夢の中だけにも見たいのが見えぬのは残念であると思った。
三月の十幾日に桐壺の方は安産した。その時まではあぶないことのようにして、多くの祈祷が神仏にささげられていたのであるが、たいした苦しみもなく、しかも男宮をお生みしたのであったから、この上の幸福もないようで院のお心も落ち着いた。こちらは蔭《かげ》の場所のようになっていた所で、ただ風流な座敷が幾つも作られてある建物では、いかめしい今後続いてあるはずの産養《うぶやしない》の式などに不便であって、老尼君のためにだけはうれしいことと見えても、外見へは不都合であるために、南の町へ産屋《うぶや》を移す計画ができていた。紫の女王《にょおう》も出て来た。白い服装をして母らしく若宮をお抱きしている姫君はかわいく見えた。紫夫人は自身に経験のないことであったし、他の人の場合にもこうした産屋などに立ち合ったことはなかったから、幼い宮を珍しくおかわいく思うふうが見えた。まだあぶないように思われるほどの小さい方を女王は始終手に抱いているので、ほんとうの祖母である明石《あかし》夫人は、養祖母に任せきりにして、産湯《うぶゆ》の仕度《したく》などにばかりかかっていた。東宮|宣下《せんげ》の際の宣旨拝受の役を勤めた典侍《ないしのすけ》がお湯をお使わせするのであった。迎え湯を盥《たらい》へ注《つ》ぎ入れる役を明石の勤めるのも気の毒で淑景舎《しげいしゃ》の方の生母がこの人であることは知らないこともない東宮がたの女房たちは目をとめて、どこかに欠点でもある人なら当然のこととも思っておられようが、あまりに気高《けだか》い明石の姿はこの人たちに畏敬《いけい》の念を起こさせて、未来の天子の御外祖母たる因縁を身に備えて生まれた人に違いないというようなことも思わせた。お湯殿の式のくわしい記事は省略する。
六日めに以前の南の町の御殿へ桐壺の方は移った。七日の夜には宮中からのお産養《うぶやしない》があった。朱雀《すざく》院が世捨て人の御境遇へおはいりになったために、そのお代わりにあそばされたことであったらしい。宮中から頭の弁が宣旨で来て、この日の派手《はで》な祝宴を管理した。纏頭《てんとう》の品々は中宮のお志で慣例以上の物が出された。親王がた、諸大臣家からもわれも
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