ずかしい。こんなふうにしておいでになってはね」
 などと明石は片腹痛がっていた。品のよいとりなしでこうしているのであると尼君自身は信じているのであるが、もう耳もあまり聞こえなくて、娘の言葉も、
「ああよろしいよ」
 などと言っていいかげんに聞いているのである。六十五、六である。しゃんとした尼姿で上品ではあるが、目を赤く泣きはらしているのを見ては、古い時代、つまり源氏の君の明石の浜を去ったころによくこうであったことが思い出されて夫人ははっとした。
「間違いの多い昔話などを申していたのでしょう。怪しくなりました記憶から取り出します話には荒唐無稽《こうとうむけい》な夢のようなこともあるのでございますよ」
 と、微笑を作りながら夫人のながめる姫君は、艶《えん》にきれいな顔をしていて、しかも平生よりはめいったふうが見えた。自身の子ながらももったいなく思われるこの人の心を、傷つけるような話を自身の母がして煩悶《はんもん》をしているのではないか、お后《きさき》の位にもこの人の上る時を待って過去の真実を知らせようとしていたのであるが、現在はまだ若いこの人でも、昔話から母の自分をうとましく思うことはあるまいが、この人自身の悲観することにはなろうと明石夫人は憐《あわれ》んだ。加持が済んで僧たちの去ったあとで、夫人は近く寄って菓子などを勧め、
「少しでも召し上がれ」
 と心苦しいふうに姫君を扱っていた。尼君はりっぱな美しい桐壺《きりつぼ》の方に視線をやっては感激の涙を流していた。顔全体に笑《え》みを作って、口は見苦しく大きくなっているが、目は流れ出す涙で悲しい相になっていた。困るというように明石は目くばせをするが、気のつかないふうをしている。

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「老いの波かひある浦に立ちいでてしほたるるあまをたれか咎《とが》めん
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 昔の聖代にも老齢者は罪されないことになっていたのでございますよ」
 と尼君は言った。硯箱《すずりばこ》に入れてあった紙に、

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しほたるるあまを波路のしるべにて尋ねも見ばや浜の苫屋《とまや》を
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 こんな歌を姫君は書いた。明石も堪えがたくなって泣いた。

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世を捨てて明石の浦に住む人も心の闇《やみ》は晴るけしもせじ
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 などと言っ
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