てん袖《そで》を濡《ぬ》らして
[#ここで字下げ終わり]
と書かれてあった。字は非常に昔風である。源氏はそれをながめながらおかしくてならぬような笑い顔をしているのを、何があったのかというふうに夫人は見ていた。源氏は使いへ末摘花の出した纏頭《てんとう》のまずいのを見て、機嫌《きげん》の悪くなったのを知り、使いはそっと立って行った。そしてその侍は自身たちの仲間とこれを笑い話にした。よけいな出すぎたことをする点で困らせられる人であると源氏は思っていた。
「りっぱな歌人なのだね、この女王は。昔風の歌|詠《よ》みはから衣、袂《たもと》濡るるという恨みの表現法から離れられないものだ。私などもその仲間だよ。凝り固まっていて、新しい言葉にも表現法にも影響されないところがえらいものだ。御前などの歌会の時に古い人らが友情を言う言葉に必ずまどい[#「まどい」に傍点]という三字が使われるのもいやなことだ。昔の恋愛をする者の詠む歌には相手を悪く見て仇人《あだびと》という言葉を三句めに置くことにして、それをさえ中心にすれば前後は何とでもつくと思ったものらしい」
などと源氏は夫人に語った。
「いろんな歌の手引き草とか、歌に使う名所の名とかの集めてあるのを始終見ていて、その中にある言葉を抜き出して使う習慣のついている人は、それよりほかの作り方ができないものと見える。常陸《ひたち》の親王のお書きになった紙屋紙《かんやがみ》の草紙というのを、読めと言って女王《にょおう》さんが貸してくれたがね、歌の髄脳《ずいのう》、歌の病《やまい》、そんなことがあまりたくさん書いてあったから、もともとそのほうの才分の少ない私などは、それを見たからといって、歌のよくなる見込みはないから、むずかしくてお返ししましたよ。それに通じている人の歌としては、だれでもが作るような古いところがあるじゃないかね」
滑稽《こっけい》でならないように源氏に笑われている末摘花の女王はかわいそうである。夫人はまじめに、
「なぜすぐお返しになりましたの、写させておいて姫君にも見せておあげになるほうがよかったでしょうにね。私の書物の中にも古いその本はありましたけれど、虫が穴をあけて何も読めませんでした。その御本に通じていて歌の下手《へた》な方よりも、全然知らない私などはもっとひどく拙《つたな》いわけですよ」
と言った。
「姫君の教育にそん
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