従者は常陸《ひたち》の一行に皆目を留めて過ぎた。九月の三十日であったから、山の紅葉《もみじ》は濃く淡《うす》く紅を重ねた間に、霜枯れの草の黄が混じって見渡される逢坂山の関の口から、またさっと一度に出て来た襖姿《あおすがた》の侍たちの旅装の厚織物やくくり染めなどは一種の美をなしていた。源氏の車は簾《みす》がおろされていた。今は右衛門佐《うえもんのすけ》になっている昔の小君《こぎみ》を近くへ呼んで、
「今日こうして関迎えをした私を姉さんは無関心にも見まいね」
 などと言った。心のうちにはいろいろな思いが浮かんで来て、恋しい人と直接言葉がかわしたかった源氏であるが、人目の多い場所ではどうしようもないことであった。女も悲しかった。昔が昨日のように思われて、煩悶《はんもん》もそれに続いた煩悶がされた。

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行くと来《く》とせきとめがたき涙をや絶えぬ清水《しみづ》と人は見るらん
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 自分のこの心持ちはお知りにならないであろうと思うとはかなまれた。
 源氏が石山寺を出る日に右衛門佐が迎えに来た。源氏に従って寺へ来ずに、姉夫婦といっしょに京へはいってしまったことを佐《すけ》は謝した。少年の時から非常に源氏に愛されていて、源氏の推薦で官につくこともできた恩もあるのであるが、源氏の免職されたころ、当路者ににらまれることを恐れて常陸へ行ってしまったことで、少しおもしろくなく源氏は思っていたが、だれにもそのことは言わなかった。昔ほどではないがその後も右衛門佐《うえもんのすけ》は家に属した男として源氏の庇護《ひご》を受けることになっていた。紀伊守《きいのかみ》といった男も今はわずかな河内守《かわちのかみ》であった。その弟の右近衛丞《うこんえのじょう》で解職されて、須磨へ源氏について行った男が特別に取り立てられていくのを見て、右衛門佐も河内守も過去の非を悔いた。なぜ一時の損得などを大事に考えたのであろうと自身を責めていた。
 佐《すけ》を呼び出して、源氏は姉君へ手紙をことづてたいと言った。他の人ならもう忘れていそうな恋を、なおも思い捨てない源氏に右衛門佐は驚いていた。
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あの日私は、あなたとの縁はよくよく前生で堅く結ばれて来たものであろうと感じましたが、あなたはどうお思いになりましたか。

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わくらはに
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