散里も、美しい派手《はで》な女というのではなかったから、末摘花の醜さも比較して考えられることがなく済んだのであろうと思われる。
賀茂祭り、斎院の御禊《ごけい》などのあるころは、その用意の品という名義で諸方から源氏へ送って来る物の多いのを、源氏はまたあちらこちらへ分配した。その中でも常陸の宮へ贈るのは、源氏自身が何かと指図《さしず》をして、宮邸に足らぬ物を何かと多く加えさせた。親しい家司《けいし》に命じて下男などを宮家へやって邸内の手入れをさせた。庭の蓬《よもぎ》を刈らせ、応急に土塀《どべい》の代わりの板塀を作らせなどした。源氏が妻と認めての待遇をし出したと世間から見られるのは不名誉な気がして、自身で訪ねて行くことはなかった。手紙はこまごまと書いて送ることを怠らない。二条の院にすぐ近い地所へこのごろ建築させている家のことを、源氏は末摘花に告げて、
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そこへあなたを迎えようと思う、今から童女として使うのによい子供を選んで馴《な》らしておおきなさい。
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ともその手紙には書いてあった。女房たちの着料までも気をつけて送って来る源氏に感謝して、それ
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