。
「不思議に昔から十三絃の琴には女の名手が多いようです。嵯峨《さが》帝のお伝えで女五《にょご》の宮《みや》が名人でおありになったそうですが、その芸の系統は取り立てて続いていると思われる人が見受けられない。現在の上手《じょうず》というのは、ただちょっとその場きりな巧みさだけしかないようですが、ほんとうの上手がこんな所に隠されているとはおもしろいことですね。ぜひお嬢さんのを聞かせていただきたいものです」
「お聞きくださいますのに何の御遠慮もいることではございません。おそばへお召しになりましても済むことでございます。潯陽江《じんようこう》では商人のためにも名曲をかなでる人があったのでございますから。そのまた琵琶と申す物はやっかいなものでございまして、昔にもあまり琵琶の名人という者はなかったようでございますが、これも宅の娘はかなりすらすらと弾きこなします。品のよい手筋が見えるのでございます。どうしてその域に達しましたか。娘のそうした芸をただ荒い波の音が合奏してくるばかりの所へ置きますことは私として悲しいことに違いございませんが、不快なことのあったりいたします節にはそれを聞いて心の慰めにいたすこともございます」
音楽通の自信があるような入道の言葉を、源氏はおもしろく思って、今度は十三絃を入道に与えて弾かせた。実際入道は玄人《くろうと》らしく弾く。現代では聞けないような手も出てきた。弾く指の運びに唐風が多く混じっているのである。左手でおさえて出す音などはことに深く出される。ここは伊勢《いせ》の海ではないが「清き渚《なぎさ》に貝や拾はん」という催馬楽《さいばら》を美音の者に歌わせて、源氏自身も時々拍子を取り、声を添えることがあると、入道は琴を弾きながらそれをほめていた。珍しいふうに作られた菓子も席上に出て、人々には酒も勧められるのであったから、だれの旅愁も今夜は紛れてしまいそうであった。夜がふけて浜の風が涼しくなった。落ちようとする月が明るくなって、また静かな時に、入道は過去から現在までの身の上話をしだした。明石へ来たころに苦労のあったこと、出家を遂げた経路などを語る。娘のことも問わず語りにする。源氏はおかしくもあるが、さすがに身にしむ節《ふし》もあるのであった。
「申し上げにくいことではございますが、あなた様が思いがけなくこの土地へ、仮にもせよ移っておいでになることになりましたのは、もしかいたしますと、長年の間老いた法師がお祈りいたしております神や仏が憐《あわれ》みを一家におかけくださいまして、それでしばらくこの僻地《へきち》へあなた様がおいでになったのではないかと思われます。その理由は住吉の神をお頼み申すことになりまして十八年になるのでございます。女の子の小さい時から私は特別なお願いを起こしまして、毎年の春秋に子供を住吉へ参詣《さんけい》させることにいたしております。また昼夜に六回の仏前のお勤めをいたしますのにも自分の極楽往生はさしおいて私はただこの子によい配偶者を与えたまえと祈っております。私自身は前生の因縁が悪くて、こんな地方人に成り下がっておりましても、親は大臣にもなった人でございます。自分はこの地位に甘んじていましても子はまたこれに準じたほどの者にしかなれませんでは、孫、曾孫《そうそん》の末は何になることであろうと悲しんでおりましたが、この娘は小さい時から親に希望を持たせてくれました。どうかして京の貴人に娶《めと》っていただきたいと思います心から、私どもと同じ階級の者の間に反感を買い、敵を作りましたし、つらい目にもあわされましたが、私はそんなことを何とも思っておりません。命のある限りは微力でも親が保護をしよう、結婚をさせないままで親が死ねば海へでも身を投げてしまえと私は遺言がしてございます」
などと書き尽くせないほどのことを泣く泣く言うのであった。源氏も涙ぐみながら聞いていた。
「冤罪《えんざい》のために、思いも寄らぬ国へ漂泊《さまよ》って来ていますことを、前生に犯したどんな罪によってであるかとわからなく思っておりましたが、今晩のお話で考え合わせますと、深い因縁によってのことだったとはじめて気がつかれます。なぜ明瞭にわかっておいでになったあなたが早く言ってくださらなかったのでしょう。京を出ました時から私はもう無常の世が悲しくて、信仰のこと以外には何も思わずに時を送っていましたが、いつかそれが習慣になって、若い男らしい望みも何もなくなっておりました。今お話のようなお嬢さんのいられるということだけは聞いていましたが、罪人にされている私を不吉にお思いになるだろうと思いまして希望もかけなかったのですが、それではお許しくださるのですね、心細い独《ひと》り住みの心が慰められることでしょう」
などと源氏の言ってくれるのを入道は非常に喜んでいた。
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「ひとり寝は君も知りぬやつれづれと思ひあかしのうら寂しさを
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私はまた長い間口へ出してお願いすることができませんで悶々《もんもん》としておりました」
こう言うのに身は慄《ふる》わせているが、さすがに上品なところはあった。
「寂しいと言ってもあなたはもう法師生活に慣れていらっしゃるのですから」
それから、
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旅衣うら悲しさにあかしかね草の枕《まくら》は夢も結ばず
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戯談《じょうだん》まじりに言う、源氏にはまた平生入道の知らない愛嬌《あいきょう》が見えた。入道はなおいろいろと娘について言っていたが、読者はうるさいであろうから省いておく。まちがって書けばいっそう非常識な入道に見えるであろうから。
やっと思いがかなった気がして、涼しい心に入道はなっていた。その翌日の昼ごろに源氏は山手の家へ手紙を持たせてやることにした。ある見識をもつ娘らしい、かえってこんなところに意外なすぐれた女がいるのかもしれないからと思って、心づかいをしながら手紙を書いた。朝鮮紙の胡桃《くるみ》色のものへきれいな字で書いた。
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遠近《をちこち》もしらぬ雲井に眺《なが》めわびかすめし宿の梢《こずゑ》をぞとふ
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思うには。(思ふには忍ぶることぞ負けにける色に出《い》でじと思ひしものを)
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こんなものであったようである。人知れずこの音信を待つために山手の家へ来ていた入道は、予期どおりに送られた手紙の使いを大騒ぎしてもてなした。娘は返事を容易に書かなかった。娘の居間へはいって行って勧めても娘は父の言葉を聞き入れない。返事を書くのを恥ずかしくきまり悪く思われるのといっしょに、源氏の身分、自己の身分の比較される悲しみを心に持って、気分が悪いと言って横になってしまった。これ以上勧められなくなって入道は自身で返事を書いた。
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もったいないお手紙を得ましたことで、過分な幸福をどう処置してよいかわからぬふうでございます。
それをこんなふうに私は見るのでございます。
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眺むらん同じ雲井を眺むるは思ひも同じ思ひなるらん
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だろうと私には思われます。柄にもない風流気を私の出しましたことをお許しください。
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とあった。檀紙に古風ではあるが書き方に一つの風格のある字で書かれてあった。なるほど風流気を出したものであると源氏は入道を思い、返事を書かぬ娘には軽い反感が起こった。使いはたいした贈り物を得て来たのである。翌日また源氏は書いた。
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代筆のお返事などは必要がありません。
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と書いて、
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いぶせくも心に物を思ふかなやよやいかにと問ふ人もなみ
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言うことを許されないのですから。
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今度のは柔らかい薄様《うすよう》へはなやかに書いてやった。若い女がこれを不感覚に見てしまったと思われるのは残念であるが、その人は尊敬してもつりあわぬ女であることを痛切に覚える自分を、さも相手らしく認めて手紙の送られることに涙ぐまれて返事を書く気に娘はならないのを、入道に責められて、香のにおいの沁《し》んだ紫の紙に、字を濃く淡《うす》くして紛らすようにして娘は書いた。
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思ふらん心のほどややよいかにまだ見ぬ人の聞きか悩まん
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手も書き方も京の貴女《きじょ》にあまり劣らないほど上手《じょうず》であった。こんな女の手紙を見ていると京の生活が思い出されて源氏の心は楽しかったが、続いて毎日手紙をやることも人目がうるさかったから、二、三日置きくらいに、寂しい夕方とか、物哀れな気のする夜明けとかに書いてはそっと送っていた。あちらからも返事は来た。相手をするに不足のない思い上がった娘であることがわかってきて、源氏の心は自然|惹《ひ》かれていくのであるが、良清《よしきよ》が自身の縄張《なわば》りの中であるように言っていた女であったから、今眼前横取りする形になることは彼にかわいそうであるとなお躊躇《ちゅうちょ》はされた。あちらから積極的な態度をとってくれば良清への責任も少なくなるわけであるからと、そんなことも源氏は期待していたが女のほうは貴女と言われる階級の女以上に思い上がった性質であったから、自分を卑しくして源氏に接近しようなどとは夢にも思わないのである。結局どちらが負けるかわからない。何ほども遠くなってはいないのであるが、ともかくも須磨の関が中にあることになってからは、京の女王がいっそう恋しくて、どうすればいいことであろう、短期間の別れであるとも思って捨てて来たことが残念で、そっとここへ迎えることを実現させてみようかと時々は思うのではあるが、しかしもうこの境遇に置かれていることも先の長いことと思われない今になって、世間体のよろしくないことはやはり忍ぶほうがよいのであるとして、源氏はしいて恋しさをおさえていた。
この年は日本に天変地異ともいうべきことがいくつも現われてきた。三月十三日の雷雨の烈《はげ》しかった夜、帝《みかど》の御夢に先帝が清涼殿の階段《きざはし》の所へお立ちになって、非常に御機嫌《ごきげん》の悪い顔つきでおにらみになったので、帝がかしこまっておいでになると、先帝からはいろいろの仰せがあった。それは多く源氏のことが申されたらしい。おさめになったあとで帝は恐ろしく思召《おぼしめ》した。また御子として、他界におわしましてなお御心労を負わせられることが堪えられないことであると悲しく思召した。太后へお話しになると、
「雨などが降って、天気の荒れている夜などというものは、平生神経を悩ましていることが悪夢にもなって見えるものですから、それに動かされたと外へ見えるようなことはなさらないほうがよい。軽々しく思われます」
と母君は申されるのであった。おにらみになる父帝の目と視線をお合わせになったためでか、帝は眼病におかかりになって重くお煩《わずら》いになることになった。御謹慎的な精進を宮中でもあそばすし、太后の宮でもしておいでになった。また太政大臣が突然|亡《な》くなった。もう高齢であったから不思議でもないのであるが、そのことから不穏な空気が世上に醸《かも》されていくことにもなったし、太后も何ということなしに寝ついておしまいになって、長く御|平癒《へいゆ》のことがない。御衰弱が進んでいくことで帝は御心痛をあそばされた。
「私はやはり源氏の君が犯した罪もないのに、官位を剥奪《はくだつ》されているようなことは、われわれの上に報いてくることだろうと思います。どうしても本官に復させてやらねばなりません」
このことをたびたび帝は太后へ仰せになるのであった。
「それは世間の非難を招くことですよ。罪を恐れて都を出て行った人を、三年もたたないでお許しになっては天下の識者が何と言うでしょう」
などとお言いになって、太后はあくまでも源氏の復職に賛成をあそ
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