ることすら結果は相当に恐ろしいのである、気の進まぬことも自分より年長者であったり、上の地位にいる人の言葉には随《したが》うべきである。退いて咎《とが》なしと昔の賢人も言った、あくまで謙遜《けんそん》であるべきである。もう自分は生命《いのち》の危《あぶな》いほどの目を幾つも見せられた、臆病《おくびょう》であったと言われることを不名誉だと考える必要もない。夢の中でも父帝は住吉《すみよし》の神のことを仰せられたのであるから、疑うことは一つも残っていないと思って、源氏は明石へ居を移す決心をして、入道へ返辞を伝えさせた。
「知るべのない所へ来まして、いろいろな災厄《さいやく》にあっていましても、京のほうからは見舞いを言い送ってくれる者もありませんから、ただ大空の月日だけを昔|馴染《なじみ》のものと思ってながめているのですが、今日船を私のために寄せてくだすってありがたく思います。明石には私の隠栖《いんせい》に適した場所があるでしょうか」
入道は申し入れの受けられたことを非常によろこんで、恐縮の意を表してきた。ともかく夜が明けきらぬうちに船へお乗りになるがよいということになって、例の四、五人だけが源氏を護《まも》って乗船した。入道の話のような清い涼しい風が吹いて来て、船は飛ぶように明石へ着いた。それはほんの短い時間のことであったが不思議な海上の気であった。
明石の浦の風光は、源氏がかねて聞いていたように美しかった。ただ須磨に比べて住む人間の多いことだけが源氏の本意に反したことのようである。入道の持っている土地は広くて、海岸のほうにも、山手のほうにも大きな邸宅があった。渚《なぎさ》には風流な小亭《しょうてい》が作ってあり、山手のほうには、渓流《けいりゅう》に沿った場所に、入道がこもって後世《ごせ》の祈りをする三昧堂《さんまいどう》があって、老後のために蓄積してある財物のための倉庫町もある。高潮を恐れてこのごろは娘その他の家族は山手の家のほうに移らせてあったから、浜のほうの本邸に源氏一行は気楽に住んでいることができるのであった。船から車に乗り移るころにようやく朝日が上って、ほのかに見ることのできた源氏の美貌《びぼう》に入道は老いを忘れることもでき、命も延びる気がした。満面に笑《え》みを見せてまず住吉の神をはるかに拝んだ。月と日を掌《てのひら》の中に得たような喜びをして、入道が源氏を大事がるのはもっともなことである。おのずから風景の明媚《めいび》な土地に、林泉の美が巧みに加えられた庭が座敷の周囲にあった。入り江の水の姿の趣などは想像力の乏しい画家には描《か》けないであろうと思われた。須磨の家に比べるとここは非常に明るくて朗らかであった。座敷の中の設備にも華奢《かしゃ》が尽くされてあった。生活ぶりは都の大貴族と少しも変わっていないのである。それよりもまだ派手《はで》なところが見えないでもない。
明石へ移って来た初めの落ち着かぬ心が少しなおってから、源氏は京へ手紙を書いた。
「こんなことになろうとは知らずに来て、ここで死ぬ運命だった」
などと言って、悲しんでいた京の使いが須磨にまだいたのを呼んで、過分な物を報酬に与えた上で、京でするいろいろの用が命ぜられた。頼みつけの祈りの僧たちや寺々へはこの間からのことが言いやられ、新たな祈りが依頼されたのである。私人には入道の宮へだけ、稀有《けう》にして命をまっとうした須磨の生活の終わりを源氏はお知らせした。二条の院の憐《あわ》れな手紙の返事は一気には書かれずに、一章を書いては泣き一章を書いては涙を拭《ふ》きして書いている様子にも源氏がその人を思う深さが見られるのであった。
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あとへあとへと悲しいことが起こってきて、もう苦しい経験はし尽くしたような私ですからしきりに出家したい心も湧《わ》きますが、鏡を見てもとお言いになったあなたの面影が目を離れないのですから、あなたに再会をしないでは、それを実行することもできません。何の苦しみよりも私にはあなたと離れている苦痛が最もつらいことに思われます。あなたにまた逢うことができれば、ほかのいとわしいことは皆忍んでいこうと思います。
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はるかにも思ひやるかな知らざりし浦より遠《をち》に浦づたひして
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まだ夢の続きで、明石の浦にまで来ているような気がしてなりません。こんな時に書く手紙はまちがったこともあるでしょうが許してください。
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正しくは書かれずに乱れ書きになっているような美しい手紙を、横から見ていて、源氏が二条の院の夫人を愛する深さを惟光《これみつ》たちは思った。そうした人たちもわが家への音信をこの使いへ託した。あの晴れ間もないようだった天気は名残《なごり》なく晴れて、明石の浦の空は澄み返っていた。ここの漁業をする人たちは得意そうだった。須磨は寂しく静かで、漁師の家もまばらにしかなかったのである。最初ここへ来た時にはそれと変わった漁村のにぎやかに見えるのを、いとわしく思った源氏も、ここにはまた特殊ないろいろのよさのあるのが、発見されていって慰んでいた。
主人《あるじ》の入道は信仰生活をする精神的な人物で、俗気《ぞっけ》のない愛すべき男であるが、溺愛《できあい》する一人娘のことでは、源氏の迷惑に思うことを知らずに、注意を引こうとする言葉もおりおり洩《も》らすのである。源氏もかねて興味を持って噂《うわさ》を聞いていた女であったから、こんな意外な土地へ来ることになったのは、その人との前生の縁に引き寄せられているのではないかとも思うことはあるが、こうした境遇にいる間は仏勤め以外のことに心をつかうまい。京の女王《にょおう》に聞かれてもやましくない生活をしているのとは違って、そうなれば誓ってきたことも皆|嘘《うそ》にとられるのが恥ずかしいと思って、入道の娘に求婚的な態度をとるようなことは絶対にしなかった。何かのことに触れては平凡な娘ではなさそうであると心の動いて行くことはないのではなかった。源氏のいる所へは入道自身すら遠慮をしてあまり近づいて来ない。ずっと離れた仮屋建てのほうに詰めきっていた。心の中では美しい源氏を始終見ていたくてならないのである。ぜひ希望することを実現させたいと思って、いよいよ仏神を念じていた。年は六十くらいであるがきれいな老人で、仏勤めに痩《や》せて、もとの身柄のよいせいであるか、頑固《がんこ》な、そしてまた老いぼけたようなところもありながら、古典的な趣味がわかっていて感じはきわめてよい。素養も相当にあることが何かの場合に見えるので、若い時に見聞したことを語らせて聞くことで源氏のつれづれさも紛れることがあった。昔から公人として、私人として少しの閑暇《ひま》もない生活をしていた源氏であったから、古い時代にあった実話などをぼつぼつと少しずつ話してくれる老人のあることは珍重すべきであると思った。この人に逢わなかったら歴史の裏面にあったようなことはわからないでしまったかもしれぬとまでおもしろく思われることも話の中にはあった。こんなふうで入道は源氏に親しく扱われているのであるが、この気高《けだか》い貴人に対しては、以前はあんなに独《ひと》り決めをしていた入道ではあっても、無遠慮に娘の婿になってほしいなどとは言い出せないのを、自身で歯がゆく思っては妻と二人で歎《なげ》いていた。娘自身も並み並みの男さえも見ることの稀《まれ》な田舎《いなか》に育って、源氏を隙見《すきみ》した時から、こんな美貌《びぼう》を持つ人もこの世にはいるのであったかと驚歎《きょうたん》はしたが、それによっていよいよ自身とその人との懸隔《けんかく》を明瞭《めいりょう》に悟ることになって、恋愛の対象などにすべきでないと思っていた。親たちが熱心にその成立を祈っているのを見聞きしては、不似合いなことを思うものであると見ているのであるが、それとともに低い身のほどの悲しみを覚え始めた。
四月になった。衣がえの衣服、美しい夏の帳《とばり》などを入道は自家で調製した。よけいなことをするものであるとも源氏は思うのであるが、入道の思い上がった人品に対しては何とも言えなかった。京からも始終そうした品物が届けられるのである。のどかな初夏の夕月夜に海上が広く明るく見渡される所にいて、源氏はこれを二条の院の月夜の池のように思われた。恋しい紫の女王《にょおう》がいるはずでいてその人の影すらもない。ただ目の前にあるのは淡路《あわじ》の島であった。「泡《あわ》とはるかに見し月の」などと源氏は口ずさんでいた。
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泡と見る淡路の島のあはれさへ残るくまなく澄める夜の月
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と歌ってから、源氏は久しく触れなかった琴を袋から出して、はかないふうに弾《ひ》いていた。惟光《これみつ》たちも源氏の心中を察して悲しんでいた。源氏は「広陵《こうりょう》」という曲を細やかに弾いているのであった。山手の家のほうへも松風と波の音に混じって聞こえてくる琴の音に若い女性たちは身にしむ思いを味わったことであろうと思われる。名手の弾く琴も何も聞き分けえられそうにない土地の老人たちも、思わず外へとび出して来て浜風を引き歩いた。入道も供養法を修していたが、中止することにして、急いで源氏の居間へ来た。
「私は捨てた世の中がまた恋しくなるのではないかと思われますほど、あなた様の琴の音で昔が思い出されます。また死後に参りたいと願っております世界もこんなのではないかという気もいたされる夜でございます」
入道は泣く泣くほめたたえていた。源氏自身も心に、おりおりの宮中の音楽の催し、その時のだれの琴、だれの笛、歌手を勤めた人の歌いぶり、いろいろ時々につけて自身の芸のもてはやされたこと、帝をはじめとして音楽の天才として周囲から自身に尊敬の寄せられたことなどについての追憶がこもごも起こってきて、今日は見がたい他の人も、不運な自身の今も深く思えば夢のような気ばかりがして、深刻な愁《うれ》いを感じながら弾いているのであったから、すごい音楽といってよいものであった。老人は涙を流しながら、山手の家から琵琶《びわ》と十三|絃《げん》の琴を取り寄せて、入道は琵琶法師然とした姿で、おもしろくて珍しい手を一つ二つ弾いた。十三絃を源氏の前に置くと源氏はそれも少し弾いた。また入道は敬服してしまった。あまり上手《じょうず》がする音楽でなくても場所場所で感じ深く思われることの多いものであるから、これははるかに広い月夜の海を前にして春秋の花|紅葉《もみじ》の盛りに劣らないいろいろの木の若葉がそこここに盛り上がっていて、そのまた陰影の地に落ちたところなどに水鶏《くいな》が戸をたたく音に似た声で鳴いているのもおもしろい庭も控えたこうした所で、優秀な楽器に対していることに源氏は興味を覚えて、
「この十三絃という物は、女が柔らかみをもってあまり定《き》まらないふうに弾いたのが、おもしろくていいのです」
などと言っていた。源氏の意はただおおまかに女ということであったが、入道は訳もなくうれしい言葉を聞きつけたように、笑《え》みながら言う、
「あなた様があそばす以上におもしろい音《ね》を出しうるものがどこにございましょう。私は延喜《えんぎ》の聖帝から伝わりまして三代目の芸を継いだ者でございますが、不運な私は俗界のこととともに音楽もいったんは捨ててしまったのでございましたが、憂鬱《ゆううつ》な気分になっております時などに時々弾いておりますのを、聞き覚えて弾きます子供が、どうしたのでございますか私の祖父の親王によく似た音を出します。それは法師の僻耳《ひがみみ》で、松風の音をそう感じているのかもしれませんが、一度お聞きに入れたいものでございます」
興奮して慄《ふる》えている入道は涙もこぼしているようである。
「松風が邪魔《じゃま》をしそうな所で、よくそんなにお稽古《けいこ》ができたものですね、うらやましいことですよ」
源氏は琴を前へ押しやりながらまた言葉を続けた
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