ばさないままで月日がたち、帝と太后の御病気は依然としておよろしくないのであった。
明石ではまた秋の浦風の烈《はげ》しく吹く季節になって、源氏もしみじみ独棲《ひとりず》みの寂しさを感じるようであった。入道へ娘のことをおりおり言い出す源氏であった。
「目だたぬようにしてこちらの邸《やしき》へよこさせてはどうですか」
こんなふうに言っていて、自分から娘の住居《すまい》へ通って行くことなどはあるまじいことのように思っていた。女にはまたそうしたことのできない自尊心があった。田舎《いなか》の並み並みの家の娘は、仮に来て住んでいる京の人が誘惑すれば、そのまま軽率に情人にもなってしまうのであるが、自身の人格が尊重されてかかったことではないのであるから、そのあとで一生物思いをする女になるようなことはいやである。不つりあいの結婚をありがたいことのように思って、成り立たせようと心配している親たちも、自分が娘でいる間はいろいろな空想も作れていいわけなのであるが、そうなった時から親たちは別なつらい苦しみをするに違いない。源氏が明石に滞留している間だけ、自分は手紙を書きかわす女として許されるということがほんとうの幸福である。長い間|噂《うわさ》だけを聞いていて、いつの日にそうした方を隙見《すきみ》することができるだろうと、はるかなことに思っていた方が思いがけなくこの土地へおいでになって、隙見ではあったがお顔を見ることができたし、有名な琴の音を聞くこともかない、日常の御様子も詳しく聞くことができている、その上自分へお心をお語りになるような手紙も来る。もうこれ以上を自分は望みたくない。こんな田舎に生まれた娘にこれだけの幸いのあったのは確かに果報のあった自分と思わなければならないと思っているのであって、源氏の情人になる夢などは見ていないのである。親たちは長い間祈ったことの事実になろうとする時になったことを知りながら、結婚をさせて源氏の愛の得られなかった時はどうだろうと、悲惨な結果も想像されて、どんなりっぱな方であっても、その時は恨めしいことであろうし、悲しいことでもあろう、目に見ることもない仏とか神とかいうものにばかり信頼していたが、それは源氏の心持ちも娘の運命も考えに入れずにしていたことであったなどと、今になって二の足が踏まれ、それについてする煩悶《はんもん》もはなはだしかった。源氏は、
「この秋の季節のうちにお嬢さんの音楽を聞かせてほしいものです。前から期待していたのですから」
などとよく入道に言っていた。入道はそっと婚姻の吉日を暦で調べさせて、まだ心の決まらないように言っている妻を無視して、弟子《でし》にも言わずに自身でいろいろと仕度《したく》をしていた。そうして娘のいる家の設備を美しく整えた。十三日の月がはなやかに上ったころに、ただ「あたら夜の」(月と花とを同じくば心知られん人に見せばや)とだけ書いた迎えの手紙を浜の館《やかた》の源氏の所へ持たせてやった。風流がりな男であると思いながら源氏は直衣《のうし》をきれいに着かえて、夜がふけてから出かけた。よい車も用意されてあったが、目だたせぬために馬で行くのである。惟光《これみつ》などばかりの一人二人の供をつれただけである。山手の家はやや遠く離れていた。途中の入り江の月夜の景色《けしき》が美しい。紫の女王《にょおう》が源氏の心に恋しかった。この馬に乗ったままで京へ行ってしまいたい気がした。
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秋の夜の月毛の駒《こま》よ我が恋ふる雲井に駈《か》けれ時の間も見ん
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と独言《ひとりごと》が出た。山手の家は林泉の美が浜の邸《やしき》にまさっていた。浜の館《やかた》は派手《はで》に作り、これは幽邃《ゆうすい》であることを主にしてあった。若い女のいる所としてはきわめて寂しい。こんな所にいては人生のことが皆身にしむことに思えるであろうと源氏は恋人に同情した。三昧堂《さんまいどう》が近くて、そこで鳴らす鐘の音が松風に響き合って悲しい。岩にはえた松の形が皆よかった。植え込みの中にはあらゆる秋の虫が集まって鳴いているのである。源氏は邸内をしばらくあちらこちらと歩いてみた。娘の住居《すまい》になっている建物はことによく作られてあった。月のさし込んだ妻戸が少しばかり開かれてある。そこの縁へ上がって、源氏は娘へものを言いかけた。これほどには接近して逢おうとは思わなかった娘であるから、よそよそしくしか答えない。貴族らしく気どる女である。もっとすぐれた身分の女でも今日までこの女に言い送ってあるほどの熱情を見せれば、皆好意を表するものであると過去の経験から教えられている。この女は現在の自分を侮《あなど》って見ているのではないかなどと、焦慮の中には、こんなことも源氏は思われた。力で勝つことは初めからの本意でもない、女の心を動かすことができずに帰るのは見苦しいとも思う源氏が追い追いに熱してくる言葉などは、明石の浦でされることが少し場所違いでもったいなく思われるものであった。几帳《きちょう》の紐《ひも》が動いて触れた時に、十三|絃《げん》の琴の緒《お》が鳴った。それによってさっきまで琴などを弾《ひ》いていた若い女の美しい室内の生活ぶりが想像されて、源氏はますます熱していく。
「今音が少ししたようですね。琴だけでも私に聞かせてくださいませんか」
とも源氏は言った。
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むつ言を語りあはせん人もがなうき世の夢もなかば覚《さ》むやと
明けぬ夜にやがてまどへる心には何《いづ》れを夢と分《わ》きて語らん
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前のは源氏の歌で、あとのは女の答えたものである。ほのかに言う様子は伊勢《いせ》の御息所《みやすどころ》にそっくり似た人であった。源氏がそこへはいって来ようなどとは娘の予期しなかったことであったから、それが突然なことでもあって、娘は立って近い一つの部屋へはいってしまった。そしてどうしたのか、戸はまたあけられないようにしてしまった。源氏はしいてはいろうとする気にもなっていなかった。しかし源氏が躊躇《ちゅうちょ》したのはほんの一瞬間のことで、結局は行く所まで行ってしまったわけである。女はやや背が高くて、気高《けだか》い様子の受け取れる人であった。源氏自身の内にたいした衝動も受けていないでこうなったことも、前生の因縁であろうと思うと、そのことで愛が湧《わ》いてくるように思われた。源氏から見て近まさりのした恋と言ってよいのである。平生は苦しくばかり思われる秋の長夜もすぐ明けていく気がした。人に知らせたくないと思う心から、誠意のある約束をした源氏は朝にならぬうちに帰った。
その翌日は手紙を送るのに以前よりも人目がはばかられる気もした。源氏の心の鬼からである。入道のほうでも公然のことにはしたくなくて、結婚の第二日の使いも、そのこととして派手《はで》に扱うようなことはしなかった。こんなことにも娘の自尊心は傷つけられたようである。それ以後時々源氏は通って行った。少し道程《みちのり》のある所でもあったから、土地の者の目につくことも思って間を置くのであるが、女のほうではあらかじめ愁《うれ》えていたことが事実になったように取って、煩悶《はんもん》しているのを見ては親の入道も不安になって、極楽の願いも忘れたように、仏勤めは怠《なま》けて、源氏の君の通って来ることを大事だと考えている。入道からいえば事が成就しているのであるが、その境地で新しく物思いをしているのが憐《あわ》れであった。二条の院の女王《にょおう》にこの噂《うわさ》が伝わっては、恋愛問題では嫉妬《しっと》する価値のあることでないとわかっていても、秘密にしておく自分の態度を恨めしがられては苦しくもあり、気恥ずかしくもあると思っていた源氏が紫夫人をどれほど愛しているかはこれだけでも想像することができるのである。女王も源氏を愛することの深いだけ、他の愛人との関係に不快な色を見せたそのおりおりのことを今思い出して、なぜつまらぬことで恨めしい心にさせたかと、取り返したいくらいにそれを後悔している源氏なのである。新しい恋人は得ても女王へ焦《こが》れている心は慰められるものでもなかったから、平生よりもまた情けのこもった手紙を源氏は京へ書いたのであるが、奥に今度のことを書いた。
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私は過去の自分のしたことではあるが、あなたを不快にさせたつまらぬいろいろな事件を思い出しては胸が苦しくなるのですが、それだのにまたここでよけいな夢を一つ見ました。この告白でどれだけあなたに隔てのない心を持っているかを思ってみてください。「誓ひしことも」(忘れじと誓ひしことをあやまたば三笠《みかさ》の山の神もことわれ)という歌のように私は信じています。
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と書いて、また、
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何事も、
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しほしほと先《ま》づぞ泣かるるかりそめのみるめは海人《あま》のすさびなれども
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と書き添えた手紙であった。
京の返事は無邪気な可憐《かれん》なものであったが、それも奥に源氏の告白による感想が書かれてあった。
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お言いにならないではいらっしゃれないほど現在のお心を占めていますことをお報《し》らせくださいまして承知いたしましたが、私には新しい恋人に傾倒していらっしゃる御様子が昔のいろいろな場合と思い合わせて想像することもできます。
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うらなくも思ひけるかな契りしを松より波は越えじものぞと
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おおようではあるがくやしいと思う心も確かにかすめて書かれたものであるのを、源氏は哀れに思った。この手紙を手から離しがたくじっとながめていた。この当座幾日は山手の家へ行く気もしなかった。女は長い途絶えを見て、この予感はすでに初めからあったことであると歎《なげ》いて、この親子の間では最後には海へ身を投げればよいという言葉が以前によく言われたものであるが、いよいよそうしたいほどつらく思った。年取った親たちだけをたよりにして、いつ人並みの娘のような幸福が得られるものとも知れなかった過去は、今に比べて懊悩《おうのう》の片はしも知らない自分だった。世の中のことはこんなに苦しいものなのであろうか、恋愛も結婚も処女の時に考えていたより悲しいものであると、女は心に思いながらも源氏には平静なふうを見せて、不快を買うような言動もしない。源氏の愛は月日とともに深くなっていくのであるが、最愛の夫人が一人京に残っていて、今の女の関係をいろいろに想像すれば恨めしい心が動くことであろうと思われる苦しさから、浜の館《やかた》のほうで一人寝をする夜のほうが多かった。
源氏はいろいろに絵を描《か》いて、その時々の心を文章にしてつけていった。京の人に訴える気持ちで描いているのである。女王の返辞がこの絵巻から得られる期待で作られているのであった。感傷的な文学および絵画としてすぐれた作品である。どうして心が通じたのか二条の院の女王もものの身にしむ悲しい時々に、同じようにいろいろの絵を描《か》いていた。そしてそれに自身の生活を日記のようにして書いていた。この二つの絵巻の内容は興味の多いものに違いない。
春になったが帝《みかど》に御悩《ごのう》があって世間も静かでない。当帝の御子は右大臣の女《むすめ》の承香殿《じょうきょうでん》の女御《にょご》の腹に皇子があった。それはやっとお二つの方であったから当然東宮へ御位《みくらい》はお譲りになるのであるが、朝廷の御後見をして政務を総括的に見る人物にだれを決めてよいかと帝はお考えになった末、源氏の君を不運の中に沈淪《ちんりん》させておいて、起用しないことは国家の損失であると思召《おぼしめ》して、太后が御反対になったにもかかわらず赦免の御沙汰《ごさた》が、源氏へ下ることになった。去年から太后も物怪《もののけ》のために病んでおいでになり、そのほか天の諭《さと》しめいたことがしきりに起
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