がいだった」
 と夫人は歎息《たんそく》していた。
「うるさい、これきりにあそばされないことも残っているのだから、お考えがあるに違いない。湯でも飲んでまあ落ち着きなさい。ああ苦しいことが起こってきた」
 入道はこう妻と娘に言ったままで、室の片隅《かたすみ》に寄っていた。妻と乳母《めのと》とが口々に入道を批難した。
「お嬢様を御幸福な方にしてお見上げしたいと、どんなに長い間祈って来たことでしょう。いよいよそれが実現されますことかと存じておりましたのに、お気の毒な御経験をあそばすことになったのでございますね。最初の御結婚で」
 こう言って歎《なげ》く人たちもかわいそうに思われて、そんなこと、こんなことで入道の心は前よりずっとぼけていった。昼は終日寝ているかと思うと、夜は起き出して行く。
「数珠《じゅず》の置き所も知れなくしてしまった」
 と両手を擦《す》り合わせて絶望的な歎息《たんそく》をしているのであった。弟子《でし》たちに批難されては月夜に出て御堂《みどう》の行道《ぎょうどう》をするが池に落ちてしまう。風流に作った庭の岩角《いわかど》に腰をおろしそこねて怪我《けが》をした時には、その痛みのある間だけ煩悶《はんもん》をせずにいた。
 源氏は浪速《なにわ》に船を着けて、そこで祓《はら》いをした。住吉《すみよし》の神へも無事に帰洛《きらく》の日の来た報告をして、幾つかの願《がん》を実行しようと思う意志のあることも使いに言わせた。自身は参詣《さんけい》しなかった。途中の見物などもせずにすぐに京へはいったのであった。
 二条の院へ着いた一行の人々と京にいた人々は夢心地《ゆめごこち》で逢い、夢心地で話が取りかわされた。喜び泣きの声も騒がしい二条の院であった。紫夫人も生きがいなく思っていた命が、今日まであって、源氏を迎ええたことに満足したことであろうと思われる。美しかった人のさらに完成された姿を二年半の時間ののちに源氏は見ることができたのである。寂しく暮らした間に、あまりに多かった髪の量の少し減ったまでもがこの人をより美しく思わせた。こうしてこの人と永久に住む家へ帰って来ることができたのであると、源氏の心の落ち着いたのとともに、またも別離を悲しんだ明石の女がかわいそうに思いやられた。源氏は恋愛の苦にどこまでもつきまとわれる人のようである。源氏は夫人に明石の君のことを話した。女王は
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