にあるのである。
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憂《う》しとのみひとへに物は思ほえで左右にも濡《ぬ》るる袖《そで》かな
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とも歌われた。
このころに九州の長官の大弐《だいに》が上って来た。大きな勢力を持っていて一門郎党の数が多く、また娘たくさんな大弐ででもあったから、婦人たちにだけ船の旅をさせた。そして所々で陸を行く男たちと海の一行とが合流して名所の見物をしながら来たのであるが、どこよりも風景の明媚《めいび》な須磨の浦に源氏の大将が隠栖《いんせい》していられるということを聞いて、若いお洒落《しゃれ》な年ごろの娘たちは、だれも見ぬ船の中にいながら身なりを気に病んだりした。その中に源氏の情人であった五節《ごせち》の君は、須磨に上陸ができるのでもなくて哀愁の情に堪えられないものがあった。源氏の弾《ひ》く琴の音《ね》が浦風の中に混じってほのかに聞こえて来た時、この寂しい海べと薄倖《はっこう》な貴人とを考え合わせて、人並みの感情を持つ者は皆泣いた。大弐は源氏へ挨拶《あいさつ》をした。
「はるかな田舎《いなか》から上ってまいりました私は、京へ着けばまず伺候いたしまして、あ
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