心地《ここち》して
[#ここで字下げ終わり]

 巧みに書こうともしてない字が雅趣に富んだ気高《けだか》いものに見えるのも源氏の思いなしであろう。特色のある派手《はで》な字というのではないが決して平凡ではないのである。今日だけは恋も忘れて終日御父の院のために雪の中で仏勤めをして源氏は暮らしたのである。
 十二月の十幾日に中宮の御八講があった。非常に崇厳《すうごん》な仏事であった。五日の間どの日にも仏前へ新たにささげられる経は、宝玉の軸に羅《うすもの》の絹の表紙の物ばかりで、外包みの装飾などもきわめて精巧なものであった。日常の品にも美しい好みをお忘れにならない方であるから、まして御仏《みほとけ》のためにあそばされたことが人目を驚かすほどの物であったことはもっともなことである。仏像の装飾、花机《はなづくえ》の被《おお》いなどの華美さに極楽世界もたやすく想像することができた。初めの日は中宮の父帝の御|菩提《ぼだい》のため、次の日は母后のため、三日目は院の御菩提のためであって、これは法華経の第五巻の講義のある日であったから、高官たちも現在の宮廷派の人々に斟酌《しんしゃく》をしていず数多く列席し
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