言って泣きながら源氏をながめていた。聖人は源氏を護《まも》る法のこめられてある独鈷《どっこ》を献上した。それを見て僧都は聖徳太子が百済《くだら》の国からお得になった金剛子《こんごうし》の数珠《じゅず》に宝玉の飾りのついたのを、その当時のいかにも日本の物らしくない箱に入れたままで薄物の袋に包んだのを五葉の木の枝につけた物と、紺瑠璃《こんるり》などの宝石の壺《つぼ》へ薬を詰めた幾個かを藤《ふじ》や桜の枝につけた物と、山寺の僧都の贈り物らしい物を出した。源氏は巌窟の聖人をはじめとして、上の寺で経を読んだ僧たちへの布施の品々、料理の詰め合わせなどを京へ取りにやってあったので、それらが届いた時、山の仕事をする下級労働者までが皆相当な贈り物を受けたのである。なお僧都の堂で誦経《ずきょう》をしてもらうための寄進もして、山を源氏の立って行く前に、僧都は姉の所に行って源氏から頼まれた話を取り次ぎしたが、
「今のところでは何ともお返辞の申しようがありません。御縁がもしありましたならもう四、五年して改めておっしゃってくだすったら」
と尼君は言うだけだった。源氏は前夜聞いたのと同じような返辞を僧都から伝えられて自身の気持ちの理解されないことを歎《なげ》いた。手紙を僧都の召使の小童に持たせてやった。
[#ここから2字下げ]
夕まぐれほのかに花の色を見て今朝《けさ》は霞の立ちぞわづらふ
[#ここで字下げ終わり]
という歌である。返歌は、
[#ここから2字下げ]
まことにや花のほとりは立ち憂《う》きと霞《かす》むる空のけしきをも見ん
[#ここで字下げ終わり]
こうだった。貴女《きじょ》らしい品のよい手で飾りけなしに書いてあった。
ちょうど源氏が車に乗ろうとするころに、左大臣家から、どこへ行くともなく源氏が京を出かけて行ったので、その迎えとして家司《けいし》の人々や、子息たちなどがおおぜい出て来た。頭中将《とうのちゅうじょう》、左中弁《さちゅうべん》またそのほかの公達《きんだち》もいっしょに来たのである。
「こうした御旅行などにはぜひお供をしようと思っていますのに、お知らせがなくて」
などと恨んで、
「美しい花の下で遊ぶ時間が許されないですぐにお帰りのお供をするのは惜しくてならないことですね」
とも言っていた。岩の横の青い苔《こけ》の上に新しく来た公達は並んで、また酒盛りが始め
前へ
次へ
全34ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング