作っているのである。
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吹き迷ふ深山《みやま》おろしに夢さめて涙催す滝の音かな
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これは源氏の作。
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「さしぐみに袖|濡《ぬ》らしける山水にすめる心は騒ぎやはする
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もう馴《な》れ切ったものですよ」
と僧都は答えた。
夜明けの空は十二分に霞んで、山の鳥声がどこで啼《な》くとなしに多く聞こえてきた。都人《みやこびと》には名のわかりにくい木や草の花が多く咲き多く地に散っていた。こんな深山の錦《にしき》の上へ鹿《しか》が出て来たりするのも珍しいながめで、源氏は病苦からまったく解放されたのである。聖人は動くことも容易でない老体であったが、源氏のために僧都の坊へ来て護身の法を行なったりしていた。嗄々《かれがれ》な所々が消えるような声で経を読んでいるのが身にしみもし、尊くも思われた。経は陀羅尼《だらに》である。
京から源氏の迎えの一行が山へ着いて、病気の全快された喜びが述べられ、御所のお使いも来た。僧都は珍客のためによい菓子を種々《くさぐさ》作らせ、渓間《たにま》へまでも珍しい料理の材料を求めに人を出して饗応《きょうおう》に骨を折った。
「まだ今年じゅうは山籠《やまごも》りのお誓いがしてあって、お帰りの際に京までお送りしたいのができませんから、かえって御訪問が恨めしく思われるかもしれません」
などと言いながら僧都は源氏に酒をすすめた。
「山の風景に十分愛着を感じているのですが、陛下に御心配をおかけ申すのももったいないことですから、またもう一度、この花の咲いているうちに参りましょう、
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宮人に行きて語らん山ざくら風よりさきに来ても見るべく」
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歌の発声も態度もみごとな源氏であった。僧都が、
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優曇華《うどんげ》の花まち得たるここちして深山《みやま》桜に目こそ移らね
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と言うと源氏は微笑しながら、
「長い間にまれに一度咲くという花は御覧になることが困難でしょう。私とは違います」
と言っていた。巌窟《がんくつ》の聖人《しょうにん》は酒杯を得て、
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奥山の松の戸ぼそを稀《まれ》に開《あ》けてまだ見ぬ花の顔を見るかな
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と
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