られたのである。前に流れた滝も情趣のある場所だった。頭中将は懐《ふところ》に入れてきた笛を出して吹き澄ましていた。弁は扇拍子をとって、「葛城《かつらぎ》の寺の前なるや、豊浦《とよら》の寺の西なるや」という歌を歌っていた。この人たちは決して平凡な若い人ではないが、悩ましそうに岩へよりかかっている源氏の美に比べてよい人はだれもなかった。いつも篳篥《ひちりき》を吹く役にあたる随身がそれを吹き、またわざわざ笙《しょう》の笛を持ち込んで来た風流好きもあった。僧都が自身で琴《きん》(七|絃《げん》の唐風の楽器)を運んで来て、
「これをただちょっとだけでもお弾《ひ》きくだすって、それによって山の鳥に音楽の何であるかを知らせてやっていただきたい」
こう熱望するので、
「私はまだ病気に疲れていますが」
と言いながらも、源氏が快く少し弾いたのを最後として皆帰って行った。名残《なごり》惜しく思って山の僧俗は皆涙をこぼした。家の中では年を取った尼君主従がまだ源氏のような人に出逢《であ》ったことのない人たちばかりで、その天才的な琴の音をも現実の世のものでないと評し合った。僧都も、
「何の約束事でこんな末世にお生まれになって人としてのうるさい束縛や干渉をお受けにならなければならないかと思ってみると悲しくてならない」
と源氏の君のことを言って涙をぬぐっていた。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の姫君は子供心に美しい人であると思って、
「宮様よりも御様子がごりっぱね」
などとほめていた。
「ではあの方のお子様におなりなさいまし」
と女房が言うとうなずいて、そうなってもよいと思う顔をしていた。それからは人形遊びをしても絵をかいても源氏の君というのをこしらえて、それにはきれいな着物を着せて大事がった。
帰京した源氏はすぐに宮中へ上がって、病中の話をいろいろと申し上げた。ずいぶん痩《や》せてしまったと仰せられて帝《みかど》はそれをお気におかけあそばされた。聖人の尊敬すべき祈祷《きとう》力などについての御下問もあったのである。詳しく申し上げると、
「阿闍梨《あじゃり》にもなっていいだけの資格がありそうだね。名誉を求めないで修行一方で来た人なんだろう。それで一般人に知られなかったのだ」
と敬意を表しておいでになった。左大臣も御所に来合わせていて、
「私もお迎えに参りたく思ったのですが、御微行《おしの
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