、それも姉の手だけでははかばかしく運ばないのでございましょう」
と紀伊守が説明した。
「あの子の姉さんが君の継母なんだね」
「そうでございます」
「似つかわしくないお母さんを持ったものだね。その人のことは陛下もお聞きになっていらっしって、宮仕えに出したいと衛門督が申していたが、その娘はどうなったのだろうって、いつかお言葉があった。人生はだれがどうなるかわからないものだね」
老成者らしい口ぶりである。
「不意にそうなったのでございます。まあ人というものは昔も今も意外なふうにも変わってゆくものですが、その中でも女の運命ほどはかないものはございません」
などと紀伊守は言っていた。
「伊予介は大事にするだろう。主君のように思うだろうな」
「さあ。まあ私生活の主君でございますかな。好色すぎると私はじめ兄弟はにがにがしがっております」
「だって君などのような当世男に伊予介は譲ってくれないだろう。あれはなかなか年は寄ってもりっぱな風采《ふうさい》を持っているのだからね」
などと話しながら、
「その人どちらにいるの」
「皆|下屋《しもや》のほうへやってしまったのですが、間にあいませんで一部分だけは残っているかもしれません」
と紀伊守は言った。
深く酔った家従たちは皆夏の夜を板敷で仮寝してしまったのであるが、源氏は眠れない、一人|臥《ね》をしていると思うと目がさめがちであった。この室の北側の襖子《からかみ》の向こうに人のいるらしい音のする所は紀伊守の話した女のそっとしている室であろうと源氏は思った。かわいそうな女だとその時から思っていたのであったから、静かに起きて行って襖子越しに物声を聞き出そうとした。その弟の声で、
「ちょいと、どこにいらっしゃるの」
と言う。少し涸《か》れたきれいな声である。
「私はここで寝《やす》んでいるの。お客様はお寝みになったの。ここと近くてどんなに困るかと思っていたけれど、まあ安心した」
と、寝床から言う声もよく似ているので姉弟であることがわかった。
「廂《ひさし》の室でお寝みになりましたよ。評判のお顔を見ましたよ。ほんとうにお美しい方だった」
一段声を低くして言っている。
「昼だったら私ものぞくのだけれど」
睡《ね》むそうに言って、その顔は蒲団《ふとん》の中へ引き入れたらしい。もう少し熱心に聞けばよいのにと源氏は物足りない。
「私は縁の近くのほうへ行って寝ます。暗いなあ」
子供は燈心を掻《か》き立てたりするものらしかった。女は襖子の所からすぐ斜《すじか》いにあたる辺で寝ているらしい。
「中将はどこへ行ったの。今夜は人がそばにいてくれないと何だか心細い気がする」
低い下の室のほうから、女房が、
「あの人ちょうどお湯にはいりに参りまして、すぐ参ると申しました」
と言っていた。源氏はその女房たちも皆寝静まったころに、掛鉄《かけがね》をはずして引いてみると襖子はさっとあいた。向こう側には掛鉄がなかったわけである。そのきわに几帳《きちょう》が立ててあった。ほのかな灯《ひ》の明りで衣服箱などがごたごたと置かれてあるのが見える。源氏はその中を分けるようにして歩いて行った。
小さな形で女が一人寝ていた。やましく思いながら顔を掩《おお》うた着物を源氏が手で引きのけるまで女は、さっき呼んだ女房の中将が来たのだと思っていた。
「あなたが中将を呼んでいらっしゃったから、私の思いが通じたのだと思って」
と源氏の宰相中将《さいしょうのちゅうじょう》は言いかけたが、女は恐ろしがって、夢に襲われているようなふうである。「や」と言うつもりがあるが、顔に夜着がさわって声にはならなかった。
「出来心のようにあなたは思うでしょう。もっともだけれど、私はそうじゃないのですよ。ずっと前からあなたを思っていたのです。それを聞いていただきたいのでこんな機会を待っていたのです。だからすべて皆|前生《ぜんしょう》の縁が導くのだと思ってください」
柔らかい調子である。神様だってこの人には寛大であらねばならぬだろうと思われる美しさで近づいているのであるから、露骨に、
「知らぬ人がこんな所へ」
ともののしることができない。しかも女は情けなくてならないのである。
「人まちがえでいらっしゃるのでしょう」
やっと、息よりも低い声で言った。当惑しきった様子が柔らかい感じであり、可憐《かれん》でもあった。
「違うわけがないじゃありませんか。恋する人の直覚であなただと思って来たのに、あなたは知らぬ顔をなさるのだ。普通の好色者がするような失礼を私はしません。少しだけ私の心を聞いていただけばそれでよいのです」
と言って、小柄な人であったから、片手で抱いて以前の襖子《からかみ》の所へ出て来ると、さっき呼ばれていた中将らしい女房が向こうから来た。
「ちょ
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