どは却てかう云ふ陰気な小屋で演じたら似合ふでせう」と云はれる。良人が鼻の欠けた女に聞いた所では、役者は浅草の公園劇場と映画俳優との下廻りであると云ふ。また此の小屋は其女の主人が五日間百五十円で座元に貸してゐるので、毎晩の木戸銭から其女が小屋代を厳重に差引いて帰る。此の小屋は一夜に参百人以上の客がないと小屋代さへ払へない。それが昨晩は八十人しか入らなかつた。此分では座元は非常な損で、屹度役者衆は弁当代も貰へまいと云ふ。其中に三十人程の客が集つたのでやつと幕があいた。何と云ふ芸題か知らぬが大五郎と云ふ主人公の活躍する侠客物である。映画劇に由つた物と見えて筋が早く簡単に運んで行く。大五郎に扮する座頭の外は科白も科《しぐさ》も間に合せである。科白の中に「お客様がただのお神楽ばかりを観て此処へは来ない」と云ふやうなあてこすりが交る。役者は案外真面目に演じてゐるが、著附も隈取も科白も総てが吹き出したくなる事ばかりである。二幕が終る頃に客は八十人程になつてゐた。併し私達のやうな市内からの移住者は一人もゐない。すべてが農民と土地の町人達とである。悲劇だけに泣いてゐる女達も少くない。私達だけ笑つてゐる事
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