です。民主主義の徹底する時代には偶像崇拝の思想の幻滅すべきは勿論のこと、法外な英雄崇拝の思想もまた自我の退嬰萎縮《たいえいいしゅく》として峻拒《しゅんきょ》されねばならないことだと思います。
 こういう風に、人類の教養と訓練とに優劣の差が甚だしくあって、思想的には急進派と保守派と無定見派、経済的には富豪と中産階級と第四階級、政治的には官僚と、商工業者と労働者、こういう風に分離して、それが互に反撥し合ってる限り、人道主義や民主主義を標準として真実に全人類の生活を浄化するということは、まだまだこれを未来の時日に待たねばなりません。
 殊に近代文明の中心から遠ざかっていた日本人においては、これまで久しくそれらの理想とは反対の思想の中に養われて来た者です。現にそれらの反対の思想が日本のあらゆる方面に浸潤して容易に抜きがたい勢力を持っているのです。日本人は個人の魂から深海の魚のように自覚の眼をなくすることのみを強制されて来ました。個性の尊貴とか人格の自由独立とかいう普通教育として最も大切な部分は、日本のどの学校においても教えられずに来たのです。教えられる所は、何事も要するに唯だ少数の権力者と、少
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