つては家族制度を必要とした未開時代もありました。しかしながら家長一人の力で全家族の衣食と教育とに要する経済的条件を負担することが出来ない上に、個人の欲望が大きくなり多様になって、家族の各があながち父祖以来の家業を守ることを好まず、何人《なんぴと》も適材を抱いて適所に奔《はし》ろうとし、また父祖以来の家業を守ろうとしても、その家業が現代に適しないものであったり、あるいは辛《かろ》うじて家長一人に属する家族の最小限度の経済生活を支えるに足って、到底その他の大家族を養うことが出来なかったりする現代の家庭の経済状態において、どうして家族制度を維持することが出来ましょう。家族制度の今一つの要素となるものは親子兄弟という血縁関係ですが、今日の実際生活においては、第一に前に挙げた経済状態の圧迫がその血縁関係の結合をも解き放ち、その上、各人の事業欲や名誉欲も手伝って、戸主以外の青年男女をその故郷の家に固着させて置きません。家族制度を最も遅くまで守持するであろうと思われる農家が、かえって第一にその子女の大多数を他郷の人たらしめねばならない時代となっています。都会における戦後の失職者に帰農を勧誘するような事は、この理由から、或程度以上は実行しがたい、無理な註文であるのです。家族制度を維持せよと強制することは、一般国民の経済状態を考えない官僚教育者の僻説であって、人と制度との主客関係を顛倒《てんとう》し、制度のために個人の自我発展を阻止し、個人の活力を圧殺して顧みないものだと思います。
高田保馬《たかだやすま》氏の新著『社会学的研究』の中には、また特殊の見地から家族制度に対する弱点が暗示されています。即ち人間が家族的|乃至《ないし》民族的というような関係に由って小さく結合する事は、それが内に向って鞏固《きょうこ》であるほど、それだけ排他的精神が強く働き、従って社会的人類的の大きな結合が困難になるという議論です。私はこの議論に敬服します。家族制度の精神は一種の小さな党派根性です。他と自分とを水と油の関係に置いて分離し、新理想主義の極致たる、世界人類を以て連帯責任の共存生活体と見る精神と相容《あいい》れないものです。家族制度の排他思想を最も露骨に示すものは、貴族や富豪の家屋が塀を高くし門を堅くして、他に向って小さな城塞《じょうさい》にひとしい威圧を示さなければ満足しないのでも見ることが出来ます。彼らはその家屋と庭園とを公開して民衆と共に楽もうとするような新理想主義的な雅懐を持っていないのです。また家族制度の下に家系に繋《つな》がる特殊の栄誉を世襲する彼らは、祖先の美名と現在の爵位とを誇示して、他の一般民衆と分離し、幾段か高い名門貴種の人であることを是認せしめようとします。みすぼらしい家屋に住んで、平凡無能な祖先しか持たず、その上に何らの社会的地位もない私たち大多数の無産者に取って、最も頑固な家族制度の中に旧式な生活を維持している大華族や大富豪ほど四民平等的の親《したし》みを持ちがたい者はありません。今は成金と称する新富豪さえも彼らに擬して、その邸宅と日常生活を民衆と区別し、その称呼をも御前様お姫様を以て自ら僭《せん》しつつあります。家族制度の結合が固まるほど社会と極端に分離する性質のものであることは高田氏のお説の通りだと思います。
私はまた家族制度に由って縛《しば》られた生活ほど、唯今の時代においては、道徳的に不良な状態にあるものはないという事を附け加えずにいられません。この制度の下にあっては、家長の命令が至上権を持っています。父母の保護監督を必要とする少年期にはともかく、それ以上の年齢に達して自由意志を持つ青年男女が、自己の権利と責任観念とに由って自主的に自己の欲求する行動を取り難いということは、いうまでもなく非常の苦痛です。彼らはカントのいわゆる自己目的のために存在する独立の人格者でなくて、家長の意志に由って左右される第二次的人間として存在せねばならないのです。これがために家長と家族との間に忌《いま》わしい反目があり衝突があります。親と子と、兄と弟とが同じ屋根の下に住んで見苦しいかつ悲しい争闘を続けている家庭というものは、我国の現在において随所に発見することが出来ます。女子が良人の選択権を持たず、家長の意志のままに恋愛のない結婚に盲従してしまうのもこの制度のためです。舅姑の勢力が嫁に対して良人より勝《まさ》っているのもこの制度のためです。男子の遊蕩を寛仮《かんか》して妻妾の併存を認容するのも、男女道徳以上に血統を重視する家族制度の特権であるのです。この制度の中に因習的に住む者が思想感情の乖離《かいり》と、物質的福利の争奪と嫉妬とに由って、常に複雑にして醜悪な小人的の私闘を絶たない事は、家族の延長である我国の親族関係において特に顕著であって、この
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