をしたが心は寂しかつた。千枝子は口を少し開《あ》いて小鳥のやうな愛らしい表情をして居た。鏡子は弟の様に思つて居る京都の信田《しのだ》と云ふ高等学校の先生が、自分は一人子《ひとりご》の女《むすめ》よりも他人の子の方を遥《はるか》に遥に可愛く思ふ事、思ふ事の常である事を経験して居ると云つた事を思ひ出したりなどして居た。
『姉《ねえ》さん、お湯が沸きましたからお顔を洗つて頂きませう。』
とお照が云つて来た。鏡子が髪もさつぱりと結ひ替へて書斎へ帰るとまた二三人の記者が待つて居た。顔も知らない人もあつたが鏡子は心と反対な調子づいた話をして居た。
鏡子が茶の間で昼の膳に着いたのはかれこれ二時前であつた。向ふの六畳では清と英也と秋子と千枝子が並んで食べて居た。英也は何時《いつ》の間にか銘仙に鶉縮緬《うづらちりめん》の袖の襦伴[#「伴」はママ]を重ねて大島の羽織を着て居た。それは皆靜のものであつた。着る人も扱ふ人も自分達でなくなつたと、深くはないが鏡子の胸に哀れは感じさせた。末と云ふ女中はお照の事を奥様と云つて居る。畑尾は先刻《さつき》頼まれて帰つた事の挨拶に二三|軒《げん》の家《うち》へ出掛けて行つたのである。
荷物が皆配達されて鏡子はおもちや類を子供に分けた。双子《ふたご》と千枝子は揃ひの人形、滿と健と薫はバロンの毬《たま》、晨は熊のおもちや、榮子は姉達のより少し小《ちいさ》いだけの同じ人形を貰つた。
『まだあるの、けれど鞄の中で他の物に包んだりしてあるのだから後《あと》で出して上げます。千枝ちやんや、瑞木さんや、花木さんの洋服もあるのよ。』
と鏡子は云つた。
『僕には何があるの、外に。』
と健が云つた。
『さあ何だつたかねえ。』
『母《かあ》さん、兄《にい》さんはもう要《い》らないのね、絵具箱があるのだもの。』
『そんな事ありませんね、母《かあ》さん。』
『いいんだ。いいんだ。』
『やかましい、健。』
と滿が云ふと、
『いやあ。』
と健が泣き出した。
『瑞木ちやんの人形の方がいいのよ、とり替へて頂戴よ。』
と花木が云ふ。
『いやよ、いやよ。』
と瑞木が泣声で云つて居る。鏡子は周章《あわたゞ》しい世界へ帰つて来たと夢から醒めた時のやうな息をして子供達を見て居た。
『後程《のちほど》また伺ひます。』
清は薫のバロンを持つて、千枝子だけを残して帰つた。鏡子はふとトランクや鞄の鍵をどうしたかと云ふ疑ひを抱《だ》いて書斎へ行つた。そして赤地錦《あかぢにしき》の紙入《かみいれ》を違棚《ちがひだな》から出した中を調べて見たが見えない。
『あら。』
と独言《ひとりごと》を云つて首を傾けて見たが外に何の心覚えもない。
『お照さん、鞄の鍵を私落して来てよ。』
恥《はづか》しい事を思ひ切つて云ふやうに鏡子は隣の間の妹に声を掛けた。
『何処《どこ》かにあるのぢやありませんか。』
入《はい》つて来たお照の顔は目の尻、結んだ口の左右に上向いた線がある。
『着物を脱いだ[#「脱いだ」は底本では「晩いだ」]所になかつたこと。』
『いいえ、ありません。』
『ぢやあ汽車の中なんだわ。』
『大変ですね。』
『さうだわ。』
『困りますね。』
『いいわ。どうかなるわ。けれどあなた一寸《ちよつと》新橋の停車場《すていしよん》へ電話で聞いて見て下すつても好いわ。あのう、食堂車の前の箱ですつて。』
『さういたしませう。』
お照は立ちしなに襟先を一寸《ちよつと》引いて、上褄《うはづま》を直して出て行つた。
鏡子が茫《ばう》として居る処《ところ》へ南が出て来た。
『おや、南さん。』
鏡子の頬に涙がほろほろと零《こぼ》れた。
『おめでたう。』
其《その》儘じつと南は俯《うつ》向いて居て、細い指だけは火鉢の上へかざされた。この無言の中へ夏子の入《はい》つて来たのを鏡子は嬉しくなく思つた。英也も来て南に初対面の挨拶をして居た。
出入《でいり》の料理屋の菊屋から奥様にと云つて寿司の重詰《ぢうづめ》が来たと云つてお照が見せに来た。片手は背に廻して先刻《さつき》から泣いて居る榮子を負《お》ぶつて居るのである。
『何故《なぜ》そんなに榮子は泣くのでせう。』
『先刻《さつき》ね、今晩から母《かあ》さんとおねんねなさいと云つたら、それから泣き初めたのですよ。』
お照は口を曲げてかう云つた。
『そんなことを云はないでもいいに。』
と云つて鏡子は榮子の顔を見て一寸《ちよつと》眉を寄せた。
『榮ちやん、いけませんねえ。』
と云つて榮子を夏子が抱き取つて二人の女は一緒に立つて行つた。
『焼けましたねえ。』
南は気の毒さうにまじまじと師の奥様の顔を眺めて居る。
『情ないのねえ。けれど荒木さんは私を若くなつたと神戸では云つたのね。』
鏡子は英也の顔を見て笑ひながら云つた。
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