ゑ》で云つた。
『困つてしまひますね。』
夏子は写真師に聞《きこ》えるやうな声で云つた。お照は鏡子の窶《やつ》れた横顔を身も慄《ふる》ふ程寒く思つて見て居た。
改札口の所には平井夫婦、外山《とやま》文学士などと云ふ鏡子の知合《しりあひ》が来て居た、靜の弟子で株式取引所の書記をして居る大塚も来て居た。十年余り前に靜と鏡子が渋谷で新《しん》世帯を持つた頃に逢つた限《き》り逢はない昔|馴染《なぢみ》の小原《をはら》も来て居た。鏡子の帰朝の不意だつたこと、ともかくも衰弱の少《すくな》く見えるので嬉しいと云ふことなどが皆の口から出た。鏡子は自身でも歯|痒《がゆ》く思ふやうなぐずぐずした挨拶をして居たが、急に晴やかな声を出して、
『平井さんの小説が大層評判が好《い》いさうですね。』
と云つた。
『此頃は無暗《むやみ》に書きたいのですよ。』
平井は微笑《ほゝえ》みながら云つた。その人の妻は口を覆ふて笑ふて居た。
『車を持つて来させて御座います。』
清は鏡子を車寄せの方へ導いて行つた。旅客《りよかく》は怪しむ様に目をこの三十女《さんじうをんな》に寄せた。
『滿がね、私の事を叔母さん叔母さんと間違へて云ふのですよ。』
車に乗らうとして横に居た外山にかう云つた鏡子の言葉尻はおろおろと曇つて居た。
『ああ、さうですか。』
外山は満面に笑《ゑみ》を湛《たゝ》へて云つて居た。瑞木が鏡子の前へ乗つた。花木も乗りたさうな顔をして居たのであつたが後《うしろ》の叔母の車に居た。瑞木を膝に乗せた車が麹町へ上《あが》つて行《ゆ》く。こんな空想を西洋に居た時に何度鏡子はした事か知れない。滿、瑞木、健、花木、晨、榮子と云ふ順に気にかゝるとは何時《いつ》も鏡子が良人《をつと》に云つて居た事で、瑞木は双子《ふたご》の妹になつて居るのであるが、身体《からだ》も大きいし、脳の発達も早くから勝《すぐ》れて居たから両親には長女として思はれて居るのである。容貌《きれう》も好《い》い。赤ん坊の時から二人の女中が瑞木の方を抱きたいと云つて喧嘩をしたりなどもした。鏡子はまた子供の中で自身の通りの目をしたのは瑞木だけであると思ふから、永久と云ふ相続さるゝ生命は明らさまに瑞木に宿つて居るやうにも思ふのである。どうしても今日《けふ》母に抱かれる初めの人は瑞木でなければならないのであつた。
『お悧口《りこう》にして居た。
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