律的倫理は現代の生活に害こそあれ用をなさないものであると思う。こういえばとて私は女子の不貞不倫を肯定するのでは更々《さらさら》ない。私などは現に自分一個の貞操について保守主義者中の保守主義者であると評せられても笑って甘諾《かんだく》する位に厳粛な実行の日送りをしている。私は自分の肉を二、三にすることを非常に不純不潔なことだと思って、そういうことを想像するさえ甚しい悪感と全身の戦慄《せんりつ》とを覚える。私の生活はこれを世の強者――天才の生活に比ぶれば勿論弱者の生活である。私は世の戦いに自分の牙城《がじょう》を奪われることがあっても、是非あくまでも死守しようと思っている本城がある。そして私の貞操はその本城の一部であると思っている。しかしそれは私個人の倫理である私自身のために建てた私の律である。私は自分の建てた自分のための倫理を尊重すると同時に、他の個人の建てた倫理を尊重したい。そしてそれがお互に自由と聡明とを備えた実行の律でありたい。そのような実行の律を自ら建てて行く人こそ官学の教育を受けなくても、美衣を着けていなくても尊敬すべき時代の優良階級である。

       *

 新しい生活の律は各自の実際生活の直感と、経験と、反省と、研究と、精錬とから産み出される。貞操の如きも婦人が各自に聡明である以上、それが実際問題として自分に迫って来た時、何とか自分から積極的にその問題との交渉を片附け得られるはずである。愛情や性欲の先駆と見るべき異性に対する好奇心すら自発していない少女に早くも貞操を注入するような教育が何の益になろう。私は教育者に向っては、貞操というような実際生活の細目を一律に説くことの無駄な骨折を避けて、その代りに貞操ばかりでなく、どの実際問題に出会っても惑わず、沮喪《そそう》せず、妥協せずに、自分自身に最善を尽した生活律を建て得る「自由」と「聡明」の精神を養わせる教育に力《つと》めて欲しいと思う。また私は学者に向っては、婦人が貞操のような実際問題に出会った時の参考資料として、実際生活に対する研究の過程と結論とを常に提供して欲しいと思う。そして私たち婦人はまた自分の実際問題として研究の要求を生じた場合に初めて研究して差支《さしつかえ》のないことである。世の中のあらゆる問題は直接自分の実際生活に必要の切迫した時にのみ重大問題なのである。飢えている時は花より団子が我身
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