》もすれば一本調子に固定しようとする生活を改造する資料として、その天才の新思想の中から或選択を試みることを断えず心掛けねばならぬ。それは我々普通人も同じことである。唯《た》だ前者にあっては自己の生活を改造した上に、更にそれを公人として当面の政治問題、教育問題、社会問題の改造に適用しようとする対他的実行が伴わねばならぬ。私は大隈《おおくま》党の実際政治にも政友会の政治意見にも、ベルグソンやロダンの現代思想と更に一点の共鳴する所さえ認めることの出来ないのを口惜《くや》しく思う。そして我々現代の若い婦人が芸術を透した欧洲現代の新思想に感激しながら一切の問題を個性の権威に即して判断しようとする大勢を作り出したことに対して、なお空疎な旧日本の他律的倫理を以て威圧しようとしている教育家、社会改良家の大多数を気の毒に思う。
*
私は二十歳《はたち》過ぎまで旧《ふる》い家庭の陰鬱《いんうつ》と窮屈とを極めた空気の中にいじけながら育った。私は昼の間は店頭《みせさき》と奥とを一人で掛け持って家事を見ていた。夜間の僅《わず》かな時間を偸《ぬす》んで父母の目を避けながら私の読んだ書物は、いろんな空想の世界のあることを教えて私を慰めかつ励ましてくれた。私は次第に書物の中にある空想の世界に満足していられなくなった。私は専ら自由な個人となることを願うようになった。そして不思議な偶然の機会から殆ど命掛けの勇気を出して恋愛の自由を贏《か》ち得たと同時に、久しく私の個性を監禁していた旧式な家庭の檻《おり》からも脱することが出来た。また同時に私は奇蹟のように私の言葉で私の思想を歌うことが出来た。私は一挙して恋愛と倫理と芸術との三重の自由を得た。それは既に十余年前の事実である。
その以後の私に更にまたいろいろの自由を要望する意識が徐々として萌《きざ》して来た。低落した女性の位地を男子と対等の位地にまで恢復《かいふく》することはその随一の欲望であった。
そこで私は様々の妄想や誤解を抱《いだ》いた。古今の稀《まれ》に見る天才婦人や、欧洲の近代文学に現れた自由思想家の理想的仮設人物である優秀な女主人公やを標準にして、或努力次第で一躍すべての女性が――私自身も――男子と対等な利権を得られそうにさえ思われた。表面には出さなかったが、心の中では一概に男子の暴虐に反抗したい気分を満たすまで思い詰
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