夢を見ていることが出来ます。労働者が資本家の存在を認めて、賃銀さえ要求通りに支払わるれば、その下風に立って各自の労働力を商品の如くに売買することを辞しないという奴隷的精神が明確に維持されているからです。

       *

 私の考察では、階級闘争という意義は、労働者が全く資本家の支配から解放されて、平等なる人格者として対抗し、これまで資本家が利潤として独占していた剰余価値を――むしろ労働者から掠奪《りゃくだつ》していた剰余価値を――労働者にも公平に分配されることを要求する行動に対して、資本家がこれを拒否することでなくてはなりません。即ち労働者の要求する所が、既定の賃銀の幾割の値上げという類のものではなくて、労働者自身の刻苦の成果である生産価値の余剰、即ち営利事業の利潤の幾割を労働者にも分配せよ、もしくはその利潤の全部を労働者に返還せよという類の要求にまで進まなければ、資本家を向うへ廻しての争闘とはいわれないと思います。
 今日の資本家が利潤において五割七割という配当を行っているのに、労働者が利潤の方面には手を着けず、全く無関心に放任して置いて、その賃銀ばかりの値上を迫っているのは、
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