と思つてそれは廃《や》めると云ふのです。また私は詩集の中がどんな風に整理されてあるのか見たいとも思ふのですが、自分がどうすることも出来ないのであるから仕方がないと諦めます。併《しか》しさう思つてしまへば、子供を見るためにかうして時々この家へ来ると云ふことも同じ無駄なことであらうと苦笑するのです。私の作物《さくぶつ》には生んだ親である自分にも勝《まさ》つた愛を掛けて呉れる人達が少《すくな》くも幾人かはある。私の分身の子には厳しい父親だけよりない、さうであるからなどヽ恥《はづか》しい気もありながら思ふのです。最初には気が附かなかつたのですが、柳箱《やなぎばこ》の上に私の写真が一枚置いてあるのです。何処《どこ》かの雑誌社から返しに来たのであらうと思ふと云ふのです。
四
今日《けふ》はもう書斎へは入《はひ》つて見ないで置かうと私は思ふのです。死ぬ少し前まで一日のうちの八時間は其処《そこ》で過《すご》して、悲しいことも嬉しいことも其処《そこ》に居る時の私が最も多く感じた処《ところ》なんですから、自身の使つて居た机が新刊雑誌の台になつたりして居る変り果てた光景は見たくないからなので
前へ
次へ
全33ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング