ても、
「この穢《きたな》いのが目に着かんか。」
とお睨《にら》み廻しになるあなたの顔が目に見えて身慄《みぶる》ひをすると云ふのです。または自身達の散《ちら》して置いた塵《ちり》でなくても、
「この埃《ほこり》が目に見えないのか。」
と子供等は云はれたであらう、梯子|上《のぼ》りにだんだん怒《いか》りが大きくなつて来るあなたは、終《しま》ひには縮緬《ちりめん》の着物を着た人形でも、銀の喇叭《らつぱ》でも、筆の莢《さや》を折るやうにへし折つて縁側から路次へ捨てヽおしまひになるやうなこともあつたに違ひないと思ふと云ふのでした。床の間は何時《いつ》来て見ても私の生きて居た日に少しの違ひもない品々の並べやうがしてあると云ふのです。唯《た》だ私の詩集が八冊程|花瓶《はながめ》の前へ二つに分けて積まれてあるのだけは近頃からのことであると思ふと云ふのです。本の彼方此方《あちこち》には白い紙が栞《しおり》のやうにして挟《はさ》んであると云ふのです。本の上には京の茅野《ちの》さんの手紙が置いてあるのです。私は全集に就いてして呉れた茅野《ちの》さんの親切な注意をよく読んで見たいと思ひながら遅くなるから
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