五年前に死を予想して書いた物のあつたことをふと思ひ出しました。それは私が亡霊になつて家《うち》へ来ることにして書いたものでした。
 東紅梅町《ひがしこうばいちやう》のあの家は書斎も客室《きやくま》も二階にあつたのでした。階下《した》に二室《ふたま》続いてあつた六畳に分《わか》れて親子は寝て居ました。亡霊の私が出掛けて行《ゆ》くのは無論|夜《よる》の夜中《よなか》なのです。ニコライのドオムに面した方《はう》の窓から私は家の中へ入《はひ》ると云ふのでした。私は何時《いつ》も源氏の講義をした座敷の壁の前に立つて居ました。青玉《せいぎよく》のやうな光が私の身体《からだ》から出て、水の中の物がだんだんと目に見えて来ると云ふ風に其処等《そこら》がはつきりとして来ると云ふやうなことは、私が書かうと思つたことではありません。私はやつぱり電気灯のスイツチを廻して座敷の真中《まんなか》へ灯《ひ》を点《つ》けました。室《へや》の中は隅々まで綺麗になつて居ました。私は昼間|階下《した》の暗いのに飽《あ》いて二階へ上《あが》つて来て居る子供等が、紙片《かみきれ》や玩具《おもちや》の欠片《かけら》一つを落してあつ
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