行《ゆ》く子供を育てヽ下さるであらうと依頼心をあの方《かた》に起《おこ》すやうになつたのもお艶《つや》さんの言葉が因《いん》になつて居るのです。岩城《いはき》さんが某氏の後添《のちぞひ》にあの方《かた》を世話しやうかと思ふと云つておいでになつた時に、私は滑稽なことを云ふ人であると思つて笑つたのでしたが、あの時はあなたも傍《そば》においでになつて、私がさも心から嬉しげに笑つたとはお思ひにならなかつたでせうか、私はあなたのその時の顔をよう見ませんでしたけれど。
私は子供のことばかりを書いて置かうと思つたのでしたが、前に書いた遺書のことから云はないでもいいことを書きました。
三
私が今日《けふ》またこんな物を書いて置かうと思ひましたのは、花樹《はなき》と瑞樹《みづき》が学校へ草紙代や筆代で四十六銭づヽ持つて行《ゆ》かねばならないと云ひまして、前日先生のお云ひになつたことを書いて来た物を持つて来て見せました時、私が居なくてこの子等がこんな物を見せる人がなかつたならと、ふとそんな気がしまして、そんな事などをお頼みする物を書かうと思つたのでした。私は今また遺書ではありませんが、四
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