まつりび》であつたその夕方に、綺麗に装《よそほ》はれた街の幼い男女《なんによ》は並木の間々《あひだ/\》で鬼ごつこや何やと幾団《いくだん》にもなつて遊んで居ました。その子等の絶えず口占《くちずさみ》のやうにしト云つて居ますことは、二字三字活字になつて本の中に交つても発売禁止を免れることの出来ないやうな言語なのです。そればかりなのです。恐《おそろ》しい都、悲しい都、早熟な人間の居る南洋の何やら島《じま》の子も五つ六つで斯《か》うなのであらうかと、私は青ざめて立つて居ました。性欲教育と云ふことはその子等の親達には考へるべき問題でないでせうが、私等のためには重大なことなのです。よく考へて遣つて下さいな。
光《ひかる》のことを思つて居ますうちに、私の心は四郎のことを少し云はないでは居られないやうになりました。私は四郎の生立《おひたち》をよう見ないのでせうか。五つ六つ、七八《なヽや》つで母親を亡くした人を見ては、光《ひかる》もああなるのではあるまいかと運命を恐れながら漸《やうや》く十三歳《じうさん》に迄なるのを見ました。四郎は二歳《ふたつ》ではありませんか、光《ひかる》と同じ顔をした同じやうな
前へ
次へ
全33ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング