》められたのです。光《ひかる》は多くを云ひませんし、私も尋ねないでそれで済んだのですが、私の心は長い間その事から離れませんでした。僕《ぼく》を老人として赤ら顔の酒臭い男を思つて見たり、若くて背中の曲がつた男かと思つて見たり、車夫《しやふ》姿をした男かと思つて見たり、我子を罵つた言葉は越後訛か、奥州訛かと考へて見たり、門内の物は塵一本でも自家の所有物であると、ねちねちと物を言ふ半商人、半書生が憎まれたりもしました。人の子を瓦の片《はし》のやうに思つて居るそんな人間を養つて置く広い邸《やしき》や無用な塀の多いXを私は我子を置いて死に得《う》る処《ところ》とはよう思ひません。ウイインの王宮の庭は平民達の通路になつて居るではありませんか。であるからヨセフ老帝は薄命だと云はれるのである、自身の居る窓の下に旅人の煙草《たばこ》の吸殻を捨てさせるなどとは憐むべきである、絶東《ぜつとう》の米何《こめなに》だけの威《ゐ》をもよう張らないのであると米何《こめなに》は思つて居るかも知れません。私は米何《こめなに》を無名の人と書きましたが、あの海軍の収賄問題のやかましい頃に贈賄者として検挙される筈《はず》であ
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