した。光《ひかる》が叔母さんの前ですることが陰《かげ》なら、母《かあ》さんの前ですることもやはり陰《かげ》で、そんなにいヽと思ふこともして居ないと私はお艶《つや》さんに云ひたかつたのですが、大阪育ちの私はそんな時には駄目なのです。光《ひかる》が善良な子であると云ふことにはあなたも異論がおありにならないでせう。一年に三四度づヽは学校の先生もさう云つて下さいます。藤島先生もさう思つていらつしやるのです。私の日本を立つ時に敦賀まで来て下すつた茅野《ちの》さんも、光《ひかる》さんは憎まうとしても憎めない性質を持つて居るから叔母さんも可愛がりなさるでせうと云つて私を安心させて下すつたのでしたが、つまりああした中性のやうになつた方《かた》は男から見ても女から見ても想像の出来ない心理の変態があるのだらうと思ひます。
最初の覚書にはまだ光《ひかる》のエプロンにはこんな形がいいとか、股引《もヽひき》はかうして女中に裁《たヽ》せて下さいとか書いて図を引いて置いたりしましたが、其頃《そのころ》のことを思ひますと光《ひかる》は大きくなりました。私等二人のして来た苦労が今更に哀れなものとも美しいものとも思はれ
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