関も通らなかつたけれど、これを穿いて来たやうな客の寝て居る風はなかつた、盗賊《どろばう》のではないかと思つて戸の方《はう》を見ても、硝子《ガラス》戸もその向うの戸もきちんと閉《しま》つて居るのです。私はそのうち板の間に並んだ女中部屋から烈《はげ》しい男の寝息の聞《きこ》えて来るのに気が附くと云ふのです。二人の女中と一足の長靴と云ふことで私は暫《しばら》く怖《おび》えさせられて居ると云ふのです。阪本さんはあんなことを云ふが、この上主人が夜泊《よどま》りでもするやうになつては困つてしまふではないかなどと思つたと云ふのです。確かそれでおしまひなのでした。これは書いたのを直《す》ぐ破つてしまつたのでした。前に書いた覚書は何処《どこ》かヽら出て来ることもあるでせう。
私にはまだ書かうと思つて書かないでしまつた遺書もあるのです。あの腎臓炎を煩《わづら》つた前のことだつたやうに思ひます。あの時分の私は、あなたの妹さんのお艶《つや》さんは私の代りになつて、私以上にも子供を可愛がつて教育して下さる方《かた》に違ひないと信じ切つて居ました。何時《いつ》死んでも好《い》いと云ふ位に思つてゐましたから、どう
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