ても、
「この穢《きたな》いのが目に着かんか。」
とお睨《にら》み廻しになるあなたの顔が目に見えて身慄《みぶる》ひをすると云ふのです。または自身達の散《ちら》して置いた塵《ちり》でなくても、
「この埃《ほこり》が目に見えないのか。」
と子供等は云はれたであらう、梯子|上《のぼ》りにだんだん怒《いか》りが大きくなつて来るあなたは、終《しま》ひには縮緬《ちりめん》の着物を着た人形でも、銀の喇叭《らつぱ》でも、筆の莢《さや》を折るやうにへし折つて縁側から路次へ捨てヽおしまひになるやうなこともあつたに違ひないと思ふと云ふのでした。床の間は何時《いつ》来て見ても私の生きて居た日に少しの違ひもない品々の並べやうがしてあると云ふのです。唯《た》だ私の詩集が八冊程|花瓶《はながめ》の前へ二つに分けて積まれてあるのだけは近頃からのことであると思ふと云ふのです。本の彼方此方《あちこち》には白い紙が栞《しおり》のやうにして挟《はさ》んであると云ふのです。本の上には京の茅野《ちの》さんの手紙が置いてあるのです。私は全集に就いてして呉れた茅野《ちの》さんの親切な注意をよく読んで見たいと思ひながら遅くなるからと思つてそれは廃《や》めると云ふのです。また私は詩集の中がどんな風に整理されてあるのか見たいとも思ふのですが、自分がどうすることも出来ないのであるから仕方がないと諦めます。併《しか》しさう思つてしまへば、子供を見るためにかうして時々この家へ来ると云ふことも同じ無駄なことであらうと苦笑するのです。私の作物《さくぶつ》には生んだ親である自分にも勝《まさ》つた愛を掛けて呉れる人達が少《すくな》くも幾人かはある。私の分身の子には厳しい父親だけよりない、さうであるからなどヽ恥《はづか》しい気もありながら思ふのです。最初には気が附かなかつたのですが、柳箱《やなぎばこ》の上に私の写真が一枚置いてあるのです。何処《どこ》かの雑誌社から返しに来たのであらうと思ふと云ふのです。
四
今日《けふ》はもう書斎へは入《はひ》つて見ないで置かうと私は思ふのです。死ぬ少し前まで一日のうちの八時間は其処《そこ》で過《すご》して、悲しいことも嬉しいことも其処《そこ》に居る時の私が最も多く感じた処《ところ》なんですから、自身の使つて居た机が新刊雑誌の台になつたりして居る変り果てた光景は見たくないからなのです。併《しか》し階下《した》へ降りるには其処《そこ》を通つて梯子口へ出なければならないと思つて、また自分は亡霊であるから梯子段などは要らないと非常に得意な気分になつて、階下《した》へすつと抜けて入《はひ》るのです。
子供の寝部屋には以前の二燭光よりは余程明るい電気灯が点《つ》けられてあるのです。子供は淋しがらせたくないあなたの心持を私は嬉しく思ふのです。処《ところ》でね、蚊帳《かや》の中には寝床が三つよりない、光《ひかる》と茂《しげる》と、それから女の子が一人より居ません。亡霊の胸は轟《とヾろ》きます。どうしても三つよりない。然《しか》も一つの寝床には確かに一人づヽより寝て居ません。寝て居る方《はう》は瑞樹《みづき》なのであらう、居なくなつたのは花樹《はなき》であらう、花樹《はなき》は美濃《みの》の妹が来て伴《つ》れて行つたのであらうと私は直《す》ぐそれだけのことを直覚で知ると云ふのです。三郎が京の茅野《ちの》さんの処《ところ》へ行つてからもう十五日になる、花樹《はなき》は何時《いつ》行つたのであらうなどヽ考へながら私は引き離された双生児《ふたご》の瑞樹《みづき》の枕許《まくらもと》へ坐ります。大人ならば到底眠れないだけの悲痛な音《おと》がこの子の心臓に鳴つて居る筈《はず》である、どんなに瑞樹《みづき》さんは悲しいだらう、双生児《ふたご》と云ふものは普通人の想像の出来ない愛情を持ち合つて居るもので、まだ生れて四五月目から泣いて居る時でも双方の顔が目に映ると笑顔を見せあつたあなた達ですね、けれどあなたの方《はう》が幾分か両親に大事がられたので、妹になつては居るのだけれど姉のやうな心持で双生児《ふたご》の一人を庇《かば》ふことを何時《いつ》も何時《いつ》も忘れませんでしたね、大抵の病気は二人が一緒にしましたね、さうさう下向《したむき》に寝返《ねがへ》りを仕初めたのも這ひ出したのも一緒の日からでしたね、牛乳を飲む時には教へられないのに瓶を持ち合つて上げましたね、あなた方《がた》はね、世間の双生児《ふたご》には珍《めづ》らしい一つの胞衣《えな》に包まれて居たのでしたよ、などとこんな話を口の中でした瑞樹《みづき》の顔を覗《のぞ》かうとするのでしたが、赤いメリンスの蒲団に引き入れた顔は上を向き相《さう》にもないのです。泣きながら寝入つたことがよく解《わか》るのです。枕の前には
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