》が悪いから厭だ、あの人ならとあの方《かた》のことをお云ひになつたのだと云ふこと、京の北山《きたやま》の林の中へ鉄砲を持つて入《はひ》つて、あの方《かた》と添はれない悲しみに死なうとなすつたこと、それから五六年もしてあなたとあの方《かた》が一緒になつて、女の赤さんを生んで、そしてその子が死んでからお別れになつた時、あの方《かた》は大きい柳行李《やなぎがうり》に充満《いつぱい》あつたあなたの文《ふみ》がらをあなたの先生の処《ところ》へ持つて行つて焼いたと云ふこと、こんなことでした。私が何故《なぜ》別れるやうになつたのでせうと云ひましたら、赤坊《あかんぼう》の死んだのが悪かつたのだとあなたは云つておいでになりました。年上の女と恋をするのはどんな気持なものかとも私がお尋ねしましたら、綺麗な人だつたせいか自分は年上とも思はなかつたとあなたは訳《わけ》なしに云つておいででした。よくあなたや私の知つた人が、年上の女を娶《めと》つたり、年下の男の処《ところ》へ行つたりするのを見て何故《なぜ》ああした気になれるだらうとあなたはよく不思議がつておいでになりました。私は何時《いつ》も昔のあなたがお思ひになつたやうに年《とし》と云ふものの目に映つて来ない幸福な気《き》に包まれた人達なのであらうと、さう云ふ人達に対しては思つて居るだけなのです。あの方《かた》が何年間かのあなたの心を蓄《たくは》へた行李《かうり》を開《あ》けて人に見せ、焼き尽しもした程|憎《にく》みを見せながらそのあなたの弟や妹に、実姉妹のやうな交際を猶《なほ》続けて来て居ることは三四年前まで私は知りませんでした。あなたは私よりもつと後《あと》までお知りにならなかつたかも知れません。知つておいでになつたかも知れない。或《あるひ》はまた西洋においでになる時にも門司《もじ》でお逢ひになつた妹さんの口から何事もあなたへ伝へられなかつたか熬mれません。私はお艶《つや》さんとあなたのお留守に一月《ひとつき》程一緒に居ました時、お艶《つや》さんは私を苦《くるし》めたいのでもなく、何《なに》の気なしによくあの方《かた》のことを賞《ほ》めてお聞かせになりました。烈《はげ》しいヒステリイの起つてゐる時などは、悲しい程にさうでした。あなたの兄上や嫂《あによめ》の君の信用の最も厚い婦人と云ふのはあの方《かた》であるとも聞きました。私が幾人も残して行《ゆ》く子供を育てヽ下さるであらうと依頼心をあの方《かた》に起《おこ》すやうになつたのもお艶《つや》さんの言葉が因《いん》になつて居るのです。岩城《いはき》さんが某氏の後添《のちぞひ》にあの方《かた》を世話しやうかと思ふと云つておいでになつた時に、私は滑稽なことを云ふ人であると思つて笑つたのでしたが、あの時はあなたも傍《そば》においでになつて、私がさも心から嬉しげに笑つたとはお思ひにならなかつたでせうか、私はあなたのその時の顔をよう見ませんでしたけれど。
私は子供のことばかりを書いて置かうと思つたのでしたが、前に書いた遺書のことから云はないでもいいことを書きました。
三
私が今日《けふ》またこんな物を書いて置かうと思ひましたのは、花樹《はなき》と瑞樹《みづき》が学校へ草紙代や筆代で四十六銭づヽ持つて行《ゆ》かねばならないと云ひまして、前日先生のお云ひになつたことを書いて来た物を持つて来て見せました時、私が居なくてこの子等がこんな物を見せる人がなかつたならと、ふとそんな気がしまして、そんな事などをお頼みする物を書かうと思つたのでした。私は今また遺書ではありませんが、四五年前に死を予想して書いた物のあつたことをふと思ひ出しました。それは私が亡霊になつて家《うち》へ来ることにして書いたものでした。
東紅梅町《ひがしこうばいちやう》のあの家は書斎も客室《きやくま》も二階にあつたのでした。階下《した》に二室《ふたま》続いてあつた六畳に分《わか》れて親子は寝て居ました。亡霊の私が出掛けて行《ゆ》くのは無論|夜《よる》の夜中《よなか》なのです。ニコライのドオムに面した方《はう》の窓から私は家の中へ入《はひ》ると云ふのでした。私は何時《いつ》も源氏の講義をした座敷の壁の前に立つて居ました。青玉《せいぎよく》のやうな光が私の身体《からだ》から出て、水の中の物がだんだんと目に見えて来ると云ふ風に其処等《そこら》がはつきりとして来ると云ふやうなことは、私が書かうと思つたことではありません。私はやつぱり電気灯のスイツチを廻して座敷の真中《まんなか》へ灯《ひ》を点《つ》けました。室《へや》の中は隅々まで綺麗になつて居ました。私は昼間|階下《した》の暗いのに飽《あ》いて二階へ上《あが》つて来て居る子供等が、紙片《かみきれ》や玩具《おもちや》の欠片《かけら》一つを落してあつ
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