行《ゆ》く子供を育てヽ下さるであらうと依頼心をあの方《かた》に起《おこ》すやうになつたのもお艶《つや》さんの言葉が因《いん》になつて居るのです。岩城《いはき》さんが某氏の後添《のちぞひ》にあの方《かた》を世話しやうかと思ふと云つておいでになつた時に、私は滑稽なことを云ふ人であると思つて笑つたのでしたが、あの時はあなたも傍《そば》においでになつて、私がさも心から嬉しげに笑つたとはお思ひにならなかつたでせうか、私はあなたのその時の顔をよう見ませんでしたけれど。
私は子供のことばかりを書いて置かうと思つたのでしたが、前に書いた遺書のことから云はないでもいいことを書きました。
三
私が今日《けふ》またこんな物を書いて置かうと思ひましたのは、花樹《はなき》と瑞樹《みづき》が学校へ草紙代や筆代で四十六銭づヽ持つて行《ゆ》かねばならないと云ひまして、前日先生のお云ひになつたことを書いて来た物を持つて来て見せました時、私が居なくてこの子等がこんな物を見せる人がなかつたならと、ふとそんな気がしまして、そんな事などをお頼みする物を書かうと思つたのでした。私は今また遺書ではありませんが、四五年前に死を予想して書いた物のあつたことをふと思ひ出しました。それは私が亡霊になつて家《うち》へ来ることにして書いたものでした。
東紅梅町《ひがしこうばいちやう》のあの家は書斎も客室《きやくま》も二階にあつたのでした。階下《した》に二室《ふたま》続いてあつた六畳に分《わか》れて親子は寝て居ました。亡霊の私が出掛けて行《ゆ》くのは無論|夜《よる》の夜中《よなか》なのです。ニコライのドオムに面した方《はう》の窓から私は家の中へ入《はひ》ると云ふのでした。私は何時《いつ》も源氏の講義をした座敷の壁の前に立つて居ました。青玉《せいぎよく》のやうな光が私の身体《からだ》から出て、水の中の物がだんだんと目に見えて来ると云ふ風に其処等《そこら》がはつきりとして来ると云ふやうなことは、私が書かうと思つたことではありません。私はやつぱり電気灯のスイツチを廻して座敷の真中《まんなか》へ灯《ひ》を点《つ》けました。室《へや》の中は隅々まで綺麗になつて居ました。私は昼間|階下《した》の暗いのに飽《あ》いて二階へ上《あが》つて来て居る子供等が、紙片《かみきれ》や玩具《おもちや》の欠片《かけら》一つを落してあつ
前へ
次へ
全17ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング