かん》の図書目録にあった大弐集《だいにしゅう》をよく調べてみると、三位の娘で、後冷泉帝の皇后に仕えて大弐と呼ばれた人のもので、祖母にはもとより、母の三位の歌にも数等劣った作ばかりのものであった。
更科日記《さらしなにっき》にすでに浮舟《うきふね》の姫君のことがいわれているが、更科日記は後年になって少女時代からのことを書き出したものであるから、多少覚え違いがあるかもしれない。私の二十六年は更科日記の作者が上京した年をも参考として数えたものであるが、あるいはいま少しへだたりが多いかもしれない。
若菜において文章も叙述の方法も拙かった作者は柏木《かしわぎ》になり、夕霧《ゆうぎり》になり、立派なものになってきた。内容に天才的な豊かなものが盛られているからである。東屋《あずまや》以後は技巧も内容にともなって素晴らしいものになった。前篇の紫式部は小説作家として歌人としていみじき作者であって、後篇を書いた大弐の三位は偉大なる文学者だと私は思っている。これをくわしく述べる時間がないのは残念である。
[#ここから3字下げ]
昭和十四年
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]与謝野晶子
前へ
次へ
全7ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング