厳に批難されて来たのは偏頗《へんぱ》極まることだと思います。
我国の男子の中には、まだこの点を反省しない人たちがあって、いわゆる豪傑風を気取った前代の男子の悪習を保存し、自分自身は粗野な言動を慎まないのみならず、その醜さをかえって得意としながら、唯だ女子にばかり、愛と、優雅と、つつましやかさ[#「つつましやかさ」に傍点]とを要求します。しかし無情、冷酷、生意気、半可通、不作法、粗野、軽佻等の欠点は、男子においても許しがたい欠点であることを思わねばなりません。これを女にばかり責めるのは、性的|玩弄物《がんろうぶつ》として、炊事器械として、都合の好いように、女子を柔順無気力な位地に退化せしめて置く男子の我儘《わがまま》からであるといわれても仕方がないでしょう。
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以上のように考察してくると、論者のいうように、女子に特有して、それが人間的価値の最高標準となるべき「女らしさ」というものは終《つい》に存在しないことになります。論者が「女らしさ」といっているものは、或物は、一地方的のものであり、時に由って変化するものであって、決して私たちの生活を支配するような権威を持ってい
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