。それは同書の中に掲げた「賈慎庵《かしんあん》」の話に出合つたからである。
 賈慎庵は何でも乾隆《けんりゆう》の末の老諸生の一人だつたと云ふことである。それが或夜の夢の中に大きい役所らしい家の前へ行つた。家は重門|尽《ことごと》く掩《おほ》ひ、闃《げき》としてどこにも人かげは見えない。「正に徘[#「徘」は底本では「俳」]徊《はいくわい》の間、俄《には》かに数人あり、一婦を擁して遠きより来り、この門の外に至る。」それから彼等はどう云ふ量見か、婦人の上下衣を奪つてしまつた。婦人はまだ年少である。のみならず姿色もない訣ではない。「瑩然《えいぜん》として裸立す、羞愧《しうき》の状、殆ど堪ふ可からず。」気を負うた賈《か》は直ちに進んで彼等の無状を叱りつけた。
「汝輩《なんぢがはい》、何びとぞ。敢て無礼を肆《し》する?」
 しかし彼等は微笑したまま、かう云ふ返答をしただけである。
「此れ何ぞ異とするに足らん。」
「言、未だ畢《をは》らず。門|忽《たちま》ち啓《ひら》く。数人有り。一巨桶《いちきよとう》を扛《かう》して出づ。一吏文書を執つてその後に随つて去る。衆即ち裸婦を擁して入る。賈も亦《また》随
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